『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第4回
昨年(平成26年)5月に日本創成会議が「消滅可能性都市896のリスト」を発表しました。これ以降、地方消滅の可能性が普通に語られるようになりました。政府は地方創生担当大臣まで新設して対策をとっています。
この大臣は、初任から石破茂代議士でした。石破代議士は安全保障について、賛否は別として自分の言葉で政策を語れる、至極めずらしい日本国会の議員です。最近の調査では次の首相に一番相応しい人として名前があがっているようです。
ところが・・・石破大臣から次のような驚くべき発言がありました。それは、「移民を受け入れないと日本は衰退してしまう」というものです。
果たして石破先生のこのお考えで地方創生大臣が務まるのでしょうか。私には甚だ疑問です。
これからの日本における最大のテーマは、国であれ地方であれ生産年齢人口の減少にあるわけですが、実は生産年齢人口が減少するからこそ移民は絶対に受け入れてはならないのです。
下の折れ線グラフをみてください。
青い折れ線は、1958~1973年までの経済成長率の推移です。オレンジ色の折れ線は、同時期の日本の生産年齢人口の推移です。
これをみると、生産年齢人口の伸び率は平均でも2%弱程度で推移しているにも関わらず、経済成長率は約10%近くの成長を実現しています。要するに、日本人一人あたりの生産性が飛躍的に向上したことを裏付けています。
因みに、この時期の総人口は毎年わずか1.1%程度の伸び率です。つまり、我が国における戦後の高度成長は「人口の増加」によって成し遂げられたのではなく、国民一人あたりの「生産性の向上」によって成し遂げられたのです。
一人あたりの生産性の向上は、GDPの三面等価の原則によって、一人あたりの所得と支出をも増やすことになりました。戦後の日本経済が内需主導の高度経済成長を実現することができたのはこのためです。
では、なぜ我が国は生産性を向上させることができたのでしょう。
それには2つの理由があります。
1つは、官民あげて生産性向上のための投資(公共投資、設備投資、技術開発投資など)を怠らなかったこと。2つ目は、生産年齢人口が不足した中にあっても、絶対に移民を受け入れなかったことです。
インフラが整備され、生産施設等がオートメーション化され、技術的基盤が構築されれば自ずと生産性が向上するのは当然です。また、投資を怠り、なおかつ安い労働力としての移民を受け入れていたなら、日本人一人あたりの生産性を向上させることはほぼ不可能であったと思われます。
であるからこそ移民受け入れは、地方創生どころか国家全体としても採用してはならない政策なのです。
「移民を受け入れなければ、日本はやっていけない・・・」というのは、いわば経済の自虐思想です。
たしか石破先生は、シナ事変は日本の侵略だった、というようなことも発言されていましたので、歴史認識だけではなく経済においても自虐思想の持ち主だったということですね。