『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第3回
シナの軍閥と呼ばれる匪賊は明治45(1912)年の清帝国崩壊、シナ共和国成立後のシナの混乱のなかから生まれたものです。このとき孫文はイギリスから帰国しています。
中東の匪賊は中東の混乱の中から生まれてきたものですが、この混乱の元凶は、近くはアメリカによる2度のイラク征伐、ソ連のアフガニスタン侵略、ソ連の傀儡となった軽薄才子によるイラク、アフガニスタンなどでの革命、さらには第二次大戦後のイスラエルの建国、4度のアラブ・イスラエル戦争にあり、その淵源は第一次大戦で敗北したオスマン帝国の領土分割の無理にあったように思われます。
これに19世紀の西欧のナショナリズムが、「ナショナル」に無縁の中東地域に注入されたこと、そこに自分たちの根っこを忘れて西欧かぶれした指導層の浅はかさが相まって、多くの中東の民が平和と安定、そして自由と豊かさを奪われ、自らの生き方で自らの地に生きることができないでいます。
我が国への侵略を公然化させている共産シナも、建国以来、清帝国の版図回復を企図しています。
第一次大戦では、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン帝国が解体しました。その少し前に清帝国が解体しました。この4つの帝国の版図の周辺地域が、現在、事変、戦争の危険にさらされています。私たちは、この4大帝国の地図を頭にいれたうえで、これまでの歴史を振り返るのでなければ、現在の事件の判断を誤るでしょう。
例えば、第一次大戦は大正3(1914)年6月サラエボ凶行~大正7(1918)年11月ドイツ休戦まで4年5カ月を要しました。この間ロシア共産革命が起こりました。西欧はこの戦争を境に永遠の繁栄の夢から覚めざるを得なくなったのです。