『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第5回
私には移民受け入れを反対する理由がもうひとつあります。
ここのところ連日のようにシリアからの難民の映像を見せられていますが、あそこに写っているのはまさしく生産年齢人口にあたる民ではありませんか。あれだけの民が海外に流出したら、その本国はどうなるでしょう。
さてここで、バングラデシュの事例を持ち出すと、突然すぎて戸惑う人も多いかもしれません。でも我が国にも大いに関係のある話なのです。
現在のバングラデシュは世界の最貧国の一つです。なにせ一日2米ドル未満で暮らす貧民が人口の75%をも占めています。
しかし、少し歴史に詳しい人なら「黄金のベンガル」という言葉をご存知のことでしょう。バングラデシュは国土の中央にヒマラヤに発するガンジス川という大河が流れています。このあたりは稲の生産に適しており、ムガール帝国時代には帝国で最も豊かな地域の一つで、西欧文明の導入の先頭に立っていた地域でもありました。まさしく「黄金」の地だったのです。
しかし近代化の過程で青壮年男子が域外に流出し、地域には老人と女性や子供しか残らなくなってしまいました。そうなると伝統行事が廃れてゆくだけでなく、地域社会の保持が困難になります。当時はまだ農業社会ですから村落での共同作業が地域の維持には欠かせませんでしたが、そういう力作業ができなくなってしまう。すると地域は荒廃し衰退する。そういうところに人は居たくないので、出ていける人は出ていってしまう。残ったのは動けない人達です。
これって何かに似ていませんか。
そうです。我が日本の地方衰退の絵柄そのままです。この循環に入ってしまったら、あるいは循環そのものを成り立たなくさせない限り、衰退は止まりません。そのためにいま日本政府は企業本社の地方移転に税の優遇措置を与えたりして生産の場、つまり雇用の場を地方に創ろうとしているわけです。
もうお判りでしょう。移民とは世界規模における途上国という地方から先進国という大都市圏への人口移動です。それは必ず地方、つまり途上国の衰退をもたらします。特に先進国で活躍できるだけの人材は途上国にとっては国造りのための貴重な「人的資源」ですが、これが先進国に吸収されてしまいます。
大東亜戦争で欧米植民地が次々と独立を達成していくなかで、資源ナショナリズムということが高唱されるようになりました。昭和37(1962)年に連合国(国連)で「天然資源に対する恒久主権の権利」の宣言が出されたのはその一つの帰結です。
Wikipediaからその三大原則を紹介すると、①天然資源が保有国に属し,資源保有国の国民的発展と福祉のために用いられるべきこと ②資源開発に従事する外国資本の活動について,資源保有国が種々の条件・規制を課すことができること ③資源開発により得られた利益は,投資側と受入国側との協定に従って配分されねばならないこと、です。
いつの時代でも、単に鉱物資源を保有しているだけでは本当の先進国にはなれません。自前(自国)のヒト、モノ、技術によって、そうした資源からいかにして価値あるものをつくっていくか、それをどのように売っていくか、が肝要です。つまり広い意味で「知力」のある人材こそ国の発展の起動力です。
その人材を先進国が殆ど吸い取る仕組み、それが「移民受け入れ」です。しかも単純労働には受入国の賃金の10分の1以下でも働く労働者を入れることで受入国の賃金水準も切り下げて行く。一方で、企業の株主、つまり金融資本は法人税の減税、社会保障の切り下げ、労働条件の切り下げによる企業収益増大の分配益の増大を享受しています。
そうです。第一次大戦前から第二次大戦までの帝国主義と、現在のグローバリズムは同様なのです。現在のグローバリズムは、いわば軍事力を主力としない帝国主義といっても過言ではありません。
要するに、移民受け入れ促進とは、世界的規模での「東京一極集中」を行うことです。東京一極集中を是正する地方創生大臣が、世界的規模では全く反対のことを主張している。
地方創生、東京一極集中の是正、をいうなら移民には反対すべきですよ、石破先生!