『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第1回
今日から数日間にわたって、『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』というテーマで連載します。ぜひ、ご一読頂きたいと思います。
さて、「時代は再び第一次大戦前」と言われても殆どの人は???でしょう。
もちろん、当時と比べると時代は大きく変わっています。しかしいま問題になっている中東地域、シナのアジア侵略、グローバリズムなどをより適切に理解するには、第一次大戦前の世界を振り返ってみることが極めて有益です。
なぜなら、今まさに第二次大戦後の世界秩序が崩れ去ろうとしているからです。冷戦の崩壊はその第一段階でした。その後の新自由主義(あるいは新古典派経済、あるいはグローバリズムといってもいい)という略奪資本主義による世界的な貧困化や格差拡大、金融資本主義による人間生活の破壊などなど、これらは通常の政策手段では解決できないところまで来ています。体制自体が自己改革、自浄作用の機能を働かせることができず、大きな崩落による再生、つまり「創造的破壊」によらなければ、文明を救う事が出来ない時点にまで来ています。
第二次大戦とその戦後は、第一次大戦前に準備された思想や仕組みが、第一次大戦による「前さばき」を経て、より普遍化したものともいえるでしょう。民主主義、人権などはもちろんのこと、共産主義かぶれも第一次大戦前の西欧に淵源します。日本について言えば、建設の時代であった明治がおわり、明治と共に日本文明の型をなしていた「封建」の作法も終わり、しかしてそれにかわるものが見いだせず、カネのある連中が日本を馬鹿にしながら海のかなたの西欧にあこがれるという軽薄な「ブルジョワ左翼」が生まれてきたのもこの時代です。
安保法制に関する一連の騒動をみると、残念ながらGHQのマッカーサー元帥が言った「我々アングロサクソンは45歳の大人だが日本人は12歳」という言葉が思い出されてしまいます。日本人はなぜかくも幼稚になってしまったのでしょうか。
大東亜戦争の敗北後、占領政策により日本人の世界認識は、非常に狭い範囲に閉じ込められ歪められました。例えば「日本の外にはソ連という邪悪な勢力とアメリカという公正と信義とデモクラシーに満ち溢れた先進国があって、遅れた日本人から脱皮してアメリカ人になることが夢」・・・でした。国内市場がアメリカに次いで大きかったためもあり、ごく一部の人を除き、占領政策の教えを守り、国内だけを見ていれば済んだ時代が、まさに「戦後」です。
そういう生温かい愚者の子供部屋は、なくなろうとしています。その中にこれからも居たい、と言っているのが自称護憲派や左翼ではないでしょうか。
いつかは子供部屋からでなければ大人になれません。大人になって社会の実相を観、その中で一人前に自分の足で立って歩いていかなければなりません。
その世界の姿をよりよく理解するには、概ね19世紀、西欧で植民地主義とナショナリズム、いわゆる帝国主義という名のグローバリズムが全盛であった時代を振り返る必要があります。なぜなら、そこに現在の混乱の種子が播かれているからであり、これからの時代はこの時代の流行を超えていくことが必要だからです。
この連載では、視野を第二次大戦後に限定することなく、第一次大戦前に遡り、明治維新やフランス革命も振り返りつつ、様々な問題を取り上げていこうと思います。我らが祖国の将来を我らの手で切り拓いていくために。