接続水域は領海の外側にあたるため、接続水域への侵入は領海侵入にはあたりませんが、国際法上、極めて行儀の悪い行為とされています。即ち、その国に対する安全保障上の明らかな挑発的行為(敵対行為)です。
『尖閣諸島沖の接続水域 中国海警局の船4隻入る
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160901/k10010664061000.html
1日朝、沖縄県の尖閣諸島の沖合で、中国海警局の船4隻が日本の領海のすぐ外側にある接続水域に入ったのが確認され、海上保安本部が領海に近づかないよう警告と監視を続けています。(後略)』
ここのところ、あまりにも頻繁すぎて、メディアのニュースとしての取り上げ方が小さくなっているように思います。政府の対応はもちろん、メディアの報道姿勢にも疑問です。
さて、北京政府が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは1970年代からですが、公船をつかった具体的な挑発及び侵略行為を実行段階に移したのは2009年以降です。
このころの国際政治を振り返りますと、2008年にリーマン・ショックが発生しています。
金融的な危機はワシントン政府の潤沢な資金供給により即座に沈静化し事なきをえましたが、リーマン・ショックは米国覇権によって進められてきたグローバリズム(新自由主義)経済の限界を世界に曝す結果となりました。
軍事面や外交面でみると、イラク戦争以降、既に米国は国家として退潮傾向にありましたので、おそらく北京はリーマン・ショックを米国による一極秩序の終焉と判断したのだと思います。
よってリーマン・ショックが、北京の海洋進出に対する意志を強めさせ行動を変えた・・・のだと私は考えています。
厳密にいうと、北京の海洋進出の意志はもっと以前からありましたが、具体的行動を決断させたのはリーマン・ショックでしょう。
冷戦期はもちろん、冷戦以降も、米国はスーパーパワーをもち世界の警察官として君臨していましたので、2000年代初頭(イラク戦争)までは日米同盟の軍事的効力は最大化されていました。よって北京は、軍事的リスクを払ってまで海洋進出を目論むことなど努々考えられませんでした。
第二次世界大戦以降、ワシントンの外交戦略の主目的は、欧州、東アジア、中東において敵対的な地域覇権国の出現を阻止することでした。
しかし今や、米国は世界の警察官としての役割をなかば放棄し内向き志向になっています。
その証拠に、ロシアのクリミア強奪問題ではほとんど効果のない経済制裁をしただけですし、シリアやISの問題ではなにもせず、イラク問題ではただ軍事顧問団を派遣しただけです。尖閣では、ひたすら安保条約の従来解釈を繰り返すのみで関心すらもっていません。
米国は2010年から2016年の間、国防予算を実質で14%以上も削減しました。対GDP比でみると削減率は30%に達します。おそらく今後も、大統領が誰になろうが米国の国防予算は削減されていくことでしょう。
このように世界の警察官であることを放棄した米国が、同盟国とはいえ尖閣諸島という日本国の辺境の離島(無人島)を防衛するために核保有国と一戦を交える可能性はゼロです。
そうした現実を直視できないと、「集団的自衛権で日米安保の深化だぁ~」というマヌケで頓痴気な愚論が飛び出します。「9条がぁ~」に匹敵するほどの愚論です。