ネオリベラリズム(新自由主義)。あるいは、マーケットファンダメンタリズム(市場原理主義)。
これらの経済思想は、1980年代に英米を中心に台頭し、1990年代以降は世界的に普及し、我が国においても政界・財界・学会・メディアを中心に浸透していきました。
ネオリベラリズム及びマーケットファンダメンタリズムは共に、自由な競争市場が効率的な資源配分をもたらし経済厚生を最大化させるという仮説です。
例えば経済学者であるマイケル・ジェンセンは、これらの仮説をもとに私的所有権の絶対視、即ち「会社は株主のもの」という『エージェンシー理論』を提唱しました。
いわばネオリベは株主資本主義であり、さらにいえば株主至上主義でもあります。
残念ながらこれらの仮説を理論と思い込み、あるいは勘違いをし、国民や有権者を株主に見立てて「株主(有権者)利益が第一です」という政治家たちが、国から地方自治体に至るまで全国津々浦々に誕生していくことになりました。
例えば現在の我が国には、「改革派」を自称する都道府県知事や市町村長さんたちがおられますが、その多くが(すべてとは言いません)、いわゆる株主資本主義及び株主至上主義に洗脳されたネオリベラリストです。おそらくご本人たちにはその自覚はないでしょう。
彼らネオリベ首長さんたちの共通政策は、財政の縮小均衡と民営化からなる、いわゆる「小さな政府」論です。彼らは、「小さな政府の実現こそが株主たる有権者の利益である」と信じて疑わない。
果たしてそうでしょうか?
経済情勢はその時々、デフレ期とインフレ期の二種に大別されます。
経世済民を目的とする行政には、デフレ期には「脱デフレ政策」を、インフレ期には「抑インフレ政策」を採用することが求められます。
ところが、ネオリベ首長さんたちにとってはデフレもインフレも関係なく、常に財政の縮小均衡こそが善であり、小さな政府こそが正義なのです。
1998年にデフレに突入した我が国は、中央政府から全国の地方自治体にいたるまでが、常に財政の縮小均衡を断行してきたために、未だデフレから脱却できないでいます。
デフレから脱却できないがために、物価と実質賃金は相乗的に下落し、国民は貧困化(所得縮小)し、税収も増えず、公共投資も抑制されてきたことによって今や自然災害大国たる我が国のインフラは脆弱化しています。
要するに、小さな政府も財政の縮小均衡も常に善ではないのです。
例えば川崎市内の巷の経済は深刻なほどに疲弊し続けています。(円安効果で利益をあげている輸出産業は別)
先日もご紹介した消費者物価指数(日銀が指標としているコアCPI)は下のグラフのとおりです。
このグラフには、2014年4月の消費税増税(5%→8%)分が含まれています。赤い⇔の部分の期間については消費税増税分を差し引かなければなりません。また、2014年4月直前の上昇も、駆け込み需要と考えられますので、それも差し引いて分析する必要があります。
驚くべきは、消費税増税以降の停滞ぶりです。昨年12月のゼロ%を挟んで、昨年10月から直近まで連続してのマイナスです。
くどいようですが、連続してのマイナスですよ。しかも直近はマイナス0.5%です。
これらの数字は、いかに市内のモノやサービスが買われていないかを示しています。デフレ脱却どころか、更なるデフレ化です。
国民経済の原則として、誰かがつくったモノやサービスを誰かが買ってくれないかぎり国民(市民)の所得は創出されません。所得が増えないと更に消費は落ち込みます。
この状況において、行政が更なる財政の緊縮化(財政の縮小均衡)を図れば、更にデフレ化します。
国民経済においては、行政による投資や支出も立派な需要項目です。また、デフレを脱却することができれば、税収は自ずと増えていきます。即ち財政の拡大による均衡が可能となるのです。
要するに、デフレ期におけるネオリベという財政の縮小均衡絶対主義は、国民(市民)を苦しめているだけなのです。
因みに、行政による歳出の引き締めには、増税はもちろんのこと、国民(市民)が役所に支払う各種手数料や利用料の引き上げ等も含まれます。
そして何よりも、歳出の引き締めはインフレ期の政策なのです。