昨日(8月7日)、テレビ東京系で『池上彰の戦争を考えるSP第8弾「教科書に載っていない20世紀 戦後ニッポンを創った昭和天皇とマッカーサー」』という番組が放映されていました。
この番組は2010年にスタートしたテレビ東京の戦争特番シリーズの第8弾として制作されたものだそうで、昨日は昭和天皇と連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーとの知られざる秘話に迫る、という趣旨で放映されていました。
どうせ観ても、きっと不快な思いをするだけだから、2~3日前から風邪をひいていることだし早くテレビを消して寝ようかな、と思いました。しかし、ダメな番組を観るのもまた勉強かな、と思いなおして、つい観てしまいました。
例のごとく池上何某氏が番組の水先案内人として、氏が氏の視点で一生懸命に暗記してきたことを、どうみても氏に対して反論できそうにない(あまり知性を感じさせない)コメンテーターをひな壇に配して、氏が自慢げに喋るという形で進行していく、いつもどおりの番組でした。
例えば、氏は番組取材ということで、アメリカ・バージニア州ノーフォークにあるマッカーサー記念館を訪問していました。そこで、1945年9月に昭和天皇とマッカーサーが初めて会見を行ったときに並んで撮られた写真をみつけて「戦後史に残る1枚として多くの日本人に知られていますが、実は全部で3枚存在しています」などと、どうでもいいことを取り上げては終始ご満悦な様子でした。
また当時、日本政府内で昭和天皇の退位が取り沙汰されていたことを示す文書に対して、マッカーサーが手書きで記したメモがあるのですが、「こんな貴重な資料があるんですよ」と、嬉しそうに喋っていました。
あいかわらずこの男には肝心なことが解らない。
さらに氏は、ニューヨーク州ウエストポイントにある合衆国陸軍士官学校を訪れて、「首席で卒業した卒業生・マッカーサーの精神は引き継がれているのか」とやっていました。
驚くことに、占領統治したマッカーサーの精神を氏は未だ知らないらしい。
なら教えてやろう。
1951年5月3日に開かれたアメリカの上院軍事外交合同委員会でマッカーサーが語った言葉です。
「There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」
[訳] 日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が絶たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本人は、これを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。(上智大学名誉教授・渡部昇一先生訳)
マッカーサーは日本を占領統治してはじめて、
①共産勢力から日本を守るためには、満州を安定化させねばならないこと。
②日本人居留民を守るためにはシナ大陸に進駐せざるをえないこと。
③石油等の天然資源を止められたら自衛戦争をせざるをえないこと。
を身をもって知ったのです。
番組のタイトルには、「教科書に載っていない20世紀」とありますが、このことこそが我が国にとって教科書に載っていない20世紀最大の事実ではないのか。この番組では、上記のマッカーサー証言が紹介されることは一切ありませんでした。
おそらく氏は、このマッカーサー証言を知っているはずです。知っているうえで無視しているものと思われます。もし知っていたうえで、この事実を取り上げなかったとしたら、ジャーナリストの高山正之先生もご指摘のとおり真実を言わないことも立派な嘘に入ります。
氏よ、悔しかったらぜひ一度、渡部昇一先生や高山正之先生を番組のコメンテーターに加えてみよ。
そうなれば必ず氏の無知ぶりが白日の下に曝され(すでに曝されているようなものですが)、多くの日本国民が真実を目の当たりにすることになるでしょう。
そのとき、我が国における戦後の真の意味での総括がはじまります。