最近、田中角栄元総理に関する書籍が数多く見られます。
現役時代には散々に田中派を批判してきた、あの石原慎太郎氏までが「今になって、その偉大さがわかった」とか言って角栄本を出版されています。
「えっ、今ごろ解ったの?」という思いがしないでもないですが、閉塞感に包まれた現今の日本政治の中にあって、多くの日本人がかつて我が国にもあのような人間力と政策力と統率力を合わせ持った偉大にして強力なリーダーがいたことを改めて振り返りはじめたのではないでしょうか。
田中角栄先生そのものが、ようやく「歴史」に成りはじめたようです。
かつて田中角栄先生に仕え、後に松下政経塾にて教鞭をとってきた、ある教育者が次のように言っています。
「松下政経塾では人材をつくることができたけれども、人物をつくることができなかった」と。
要するに松下政経塾では田中角栄をつくることはできなかった、という忸怩たる思いがあるそうです。
縁あって私は、その先生から当時の田中角栄先生に関するお話を聴く機会を何度となく頂いてきました。また20代のころから、早坂茂三氏の著書をはじめ角栄先生に関する書物を多く読んできましたので、いまや田中角栄フリークと自称してもいいのではないかと思っています。
すべてをここで語りつくすことはむろん不可能ですが、ロッキード事件によって失脚させられた背景についてはまだまだ謎が多く、識者による更なる研究が望まれます。
ただ私が間違いなく確信していることは、角栄先生は日本の「敗戦国レジーム」を打破しようとした大政治家だったということです。どこぞやの総理が言っているような安っぽい「戦後レジームからの脱却」ではなくて・・・
でなければ、あのような失脚劇はありえません。
日本国憲法第37条に次のようにあります。
「すべての刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する」
あのロッキード裁判では、角栄先生に「証人に対する審問権」が与えられませんでした。この一点だけをもってして、あの裁判は憲法違反なのです。むろん、そのことは封殺されました。憲法9条の旗をもって護憲を騒いでいる皆さん、もっと怒ってください。
要するに、戦後日本においては、日本国憲法の上に更なる権力機構が存在しているということです。
この根深い問題の直中に私たち日本人がいます。国民一人ひとりが、それぞれに何ができるかを考えていくことが必要ではないでしょうか。
私も政治家の端くれとして、角栄先生の志を胸に強く刻み行動していく所存です。