『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第27回
昨日のブログで、現在の軍事は「戦うため」というより「外交の背景を為すもの」としての存在意義が大きい、というお話をさせて頂きました。
むろん、外交の中には情報戦も入ります。そしてその情報戦の中には心理戦、宣伝戦、法律戦も含まれます。
シナは、これまでの急速な経済成長により軍事力を増強させ、その力を背景に巧みな情報戦(外交戦)を展開しています。尖閣への侵略行為、あるいは対日歴史問題などがまさにそれです。
かの国には、文攻武嚇(ぶんこうぶかく)という言葉があります。「文」は情報戦を戦う力、「武」は軍事力と思って頂ければ結構かと思います。つまり文攻武嚇とは、武という軍事力で威嚇し、文という情報戦で攻撃する、という意味になります。シナはこれを長い歴史の中で培ってきた国なのです。
現在、かの国が日本国に対して仕掛けてきているのが、この文攻武嚇です。
例えば、彼らが尖閣諸島を日本から掠めとろうとしていることは明らかですが、これまで実際に尖閣に上陸しようとしたのはあくまでも漁船や民間人であり、人民解放軍ではありません。人民解放軍はただ威嚇しているだけです。
この文攻武嚇に対し、我が国も文攻武嚇で応酬しなければなりません。
ただ、我が国の防衛費は、ご承知の通りGDPの1%程度の規模しか確保できていないために、外交の背景を為す軍事力という点で諸外国に比べて極めて不利な状況にあるのですが、それゆえに現在の自衛隊は少ない予算で効率よく展開できるように基盤的防衛力の強化というオールラウンドな軍事展開を可能にする運用努力を為されています。
また、情報戦という観点でいうと、ことさらにシナを「軍事的脅威」と言うこともまた慎重に考察しなければなりません。
アメリカの安全保障戦略に関する公文書(QDR)などをみても、かの国は決してシナを「軍事的脅威」とは言っていません。政府高官らの発言に至っても決して「シナは脅威」という言葉はみられません。
例えば、北朝鮮に対しては「長距離ミサイルと大量破壊兵器は、朝鮮半島と北東アジアへの重大な脅威、米国に対する直接的な脅威である」と明確に言い切っていますが、一方シナに対しては「軍事力と意図に関する指導者の透明性と開放性が相対的に欠如している」と非常に柔らかく批難する程度で、決して「脅威」とは表現していません。
そうした中、日本だけが「シナを脅威」と言いきることが、果たして情報戦上において得策(国益)であるのかどうか問題なのです。
有事だけが戦争ではありません。戦闘状態にない平時においても情報戦という戦場にいることを私達国民も知るべきです。そして今はただ、一極秩序の維持と戦争抑止を目的とする集団安保に進んで参加し、実績を積み上げることで情報戦の背景を為す力を強化していくことが重要だと思います。