『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第26回
第一次世界大戦前から第二次世界大戦が終了するあたりまでと現在では、軍事の役割は大きく変わりました。何が変わったのかというと、かつての軍隊は戦うための軍隊であったのに対して、現在のそれは外交の背景としての存在と役割が大きくなったことです。
ここで、軍隊の定義をしておかねばなりません。
軍隊とは「武力行使と武力行使の準備によって、与えられた任務を遂行し達成する国家の組織」です。武力行使とは相手を撃滅・撃沈・撃墜することであり、それをできる能力を備えたうえで準備しているからこそ軍事としてのプレゼンスを発揮します。戦場で実際に武力を行使するのではなく、ある地域に武力をもった部隊が存在することが戦争を抑止し、平和にとって需要な役割を果たすようになりました。
そして今や各国が、こうした軍事プレゼンスを背景にして外交を展開する時代になったのです。それは善悪の問題というよりも、そうした確固たる現実を認識する必要がある、ということです。なぜかというと、軍事というものが外交の背景を為す存在になったことによって、現在のような一定の国際秩序と平和が維持されているのもまた事実だからです。
その証拠に、未だ世界各地ではテロや地域紛争が絶えないものの、総力戦のような国家間戦争はもちろん、文明破壊に至るような世界大戦状態にはなっていません。何度も言うように、必ずしもベストではないがベターであるという意味です。
では、軍事を背景とする外交とはどのような外交でしょうか。
とりわけ重要なことは、ここでいうところの外交の中には情報戦というものが入っているということです。この情報戦が我が日本国の不得意としているところです。それに対し、日本の近隣諸国の中で、外交を背景にした情報戦を最も効果的に展開している国がシナです。
『中国紙が社説で「尖閣に自衛隊派遣なら軍艦出動」「数、日本の比ではない」
http://www.sankei.com/world/news/160113/wor1601130031-n1.html
中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は13日、日本政府が尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺に海上自衛隊の艦船を派遣すれば、中国海軍の軍艦が出動すると強調する社説を掲載した。
日本政府が尖閣周辺の領海を念頭に「無害通航」に該当しない他国の軍艦に対し、従来方針通り自衛隊に海上警備行動を発令して対処する考えを示したことを牽制(けんせい)した形だ。(後略)』
例えば、上記の産経新聞のような記事があります。
こうした日本に対するメッセージがまさに情報戦であり外交戦です。かの国にこれを為さしめているものの背景が、まさに「軍事」です。これまで尖閣にはシナの漁船など民間人レベルによる挑発や侵略行為はあったものの、人民解放軍というシナの軍隊は直接的にでてきてはいません。あくまでもその準備(用意)があるよ、というスタンスです。
これに対し我が国も、軍事力を背景に情報戦で押し返さなければなりません。もっとも、押し返そうという時点で既に情報戦に負けているのです。
なぜ我が国はこうした情報戦に弱いのでしょうか。その理由は多々ありますが、最大の要因は、日本にはそもそも情報戦を戦っているという認識自体が官民をあげて乏しいことがあるのではないでしょうか。
まずは国会議員を含め、国政に関わる為政者たちに、軍事が情報戦の背景を為しているという事実認識をもってもらわなければなりません。
でないと、現在の自衛隊の軍事水準が、外交の背景を為すものとして果たして十分であるのかどうか、という議論にさえたどり着くことができません。