『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第19回
昨年暮れの「日韓合意」で明らかなように、安倍政権は日本国と我らの先人が築き上げてきた歴史と名誉を著しく貶めました。この大いに稚拙な安倍外交に対し、怒りをもって責任追及することを行動で示してくれている国会議員はほんの僅かです。そんなことよりも地元の新年会まわりのほうが大切だ、という国会議員などはもはやクズです。
日本全国で、今や国会議員が単なる「大きな地方議員」と化しています。むろん例外の方もおられます。国政案件の大部分を占める外交防衛、マクロ経済、あるいは防災、治安、福祉などの安全保障について、国民の代表として一定の知識と戦略をもって取り組んでくれている国会議員など希少価値的存在となっています。
私は一介の地方議員という立場ですが、今回の「日韓合意」問題についても、議会活動や言論活動をつうじて安倍内閣に対して強い抗議活動を行っていきたいと思います。また一人の国民として、怒りをもって行動していきたいと思います。
さて、「備えある日本」をつくるためには、したたかなる国益の追求が必要です。
その前にまず、地方議員であれ、国会議員であれ、あるいは地方行政の長であれ、およそそうした立場にあるものは、最低限の素養として「国益とは何か」ぐらいは知る必要があります。
当然ですよね。それがわからないで政治家として何やるの?っていう話です。
そういうことが解らないと、ブログとかフェイスブックで「おみくじで大吉ひきました」とか「今日はどこそこの駅頭に立ちました。寒かったです」とか「○○の餅つき会にでました。美味しかったです」レベルになります。
明治23(1890)年、第一回帝国議会において、時の総理大臣・山縣有朋は「主権線のみならず、主権線の安危に密着の関係にある利益線までをも守護しなければならない」という演説をしました。
主権線とは、国土と国民を含めた、いわゆる国家の主権のことです。
「主権を守る」ということは「独立を守る」ということにほかならず、「独立を守る」ということは、その国の「歴史」「伝統」「文化」「名誉」といった国家の本質を守るということです。
昨年暮れの安倍政権による「日韓合意」は、我が国の「歴史」と「名誉」を著しく傷つけたという点において明らかに主権線としての国益を損ねています。
また、山縣のいう利益線とは、主権線を守るための経済的利益に関わる国益です。
例えば戦前でいうと満鉄のような、大日本帝国にとっての経済的利益に関わる存在です。あるいは主権線を守るための緩衝空間としての意味もありました。
現在でいうと、例えば南シナ海やマラッカ海峡などのシーレーン(海上輸送路)は、日本のエネルギー安全保障にとっての利益線です。直接的には日本国のものではありませんが、間接的に我が国の生命線を担っているからです。我が国は石油輸入の約80%を中東に依存(ホルムズ海峡を通過)していますので、当然のことながら「中東の平和と安定」も日本国の利益線に含まれます。
要するに、国益は「主権線」と「利益線」によって成立する、というのが近代国家の基本になっています。山縣有朋は、これをオーストリア留学中にドイツ人政治学者であるローレンツ・フォン・シュタインから学んだようです。
ただ、戦前と現代では大きく異なる点があります。
戦前は、各国それぞれが「主権線」と「利益線」の双方を独自で守護しなければならない時代でした。
ところが、「主権線」は各国独自のものであっても、「利益線」は一つの国によって独占できるものではありません。例えば、南シナ海やマラッカ海峡などのシーレーンは、日本の利益線でもあり、フィリピンの利益線でもあり、ベトナムにとっての利益線でもあり、むろんシナにとっても利益線です。
よって現代では、「主権線」は各国独自で守り、「利益線」についてはグローバル・コモンズ(世界共通の価値)として、みんなで守っていこうね、ということになりました。それがいわゆる「集団安全保障」という考え方です。因みにこの「集団安全保障」は「集団的自衛権」とは全く別の概念ですのでご注意を。集団安保への参加が「責務の遂行」であるのに対して、集団的自衛権はあくまでも「権利の行使」にあたります。(このことについては、また機会を改めて解説します)
本来、共通の価値である「利益線」を各国が独自で守らなければならない、としていたことが大戦に至った一要因でもありました。
この集団安全保障の主導者がアメリカです。国連はもともと集団安保の機関です。その証拠に国連憲章第1条にはそのことが明確に書かれています。アメリカは第二次世界大戦後、アメリカ主導の集団安保体制を構築するために国連を設立しました。であるからこそ、集団安保の主導者はアメリカになっているということです。
いま、南シナ海でシナが暗礁を埋め立てて造った人口島付近に、アメリカがイージス駆逐艦ラッセンを派遣して哨戒活動を展開しています。
これは、「ここはシナの領土でも領海でもなく、グローバル・コモンズですよ」とシナと世界に向けて発信しているわけです。
とりわけ東アジアでは、年間約6万隻の船舶がインドネシアを通過し、一日およそ1000万バレルの石油がマラッカ海峡を通過しています。なんと世界で発生する自然災害の約6割がこの地域で発生しています。
この地域の安定を守ることが、アジアのみならず世界の安定に不可欠です。これも現代における利益線です。
あるいは中東のIS(イスラム国)に対して行っている有志連合軍による空爆(軍事行動)も集団安保の一形態です。
ロイターによると、米国が主導する有志連合軍は昨年にISの支配地域がイラクで約4割、シリアで約2割縮小したとの見方を明らかにしたそうです。ただ、まだまだ予断を許さない状況にあります。イランとサウジ、あるいはイランとバーレーンとが国交を断絶し、今やシリア情勢は冷戦の代理戦争状態となっていますので中東の混迷は更に深まりそうです。
ご承知の通り、我が国はこの地域での有志連合軍(集団安保)に直接的には参加していません。資金援助という形で間接的に協力している程度です。
例えば、イランがホルムズ海峡を封鎖した場合、本来は集団安保(責務の遂行)で対応すべき案件なのですが、安倍総理はこれを集団的自衛権(権利の行使)で対応しようとしているところに無理があります。
国連憲章第2条には、国連加盟国は憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない、と謳われています。昭和31(1956)年に、何らの留保事項もつけずに日本は国連に加盟したのですから、日本も他の加盟国と同様に憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならないはずです。
「日本という国は、義務を果たさず、集団的自衛「権」という権利のみを主張し、一心に自分の身の保全ばかりを図っているずるい国だ」と世界から言われても弁明のしようがありません。
要するに、主権線も守れず(先人の名誉を損なった日韓合意)、利益線の守護にも参加しない。これが安倍内閣の国益観念なのです。
しかもアメリカによる一極秩序ともいうべき、アメリカ主導の集団安保体制そのものが徐々に崩れつつあります。複雑な様相を呈しているシリア情勢はそのことを裏付けています。
新たな世界秩序がどのように構築されていくのかが、これからの日本の安全保障面での国益を大きく左右することになります。
「備えある日本」をつくるためには、私たち国民一人ひとりが何が国益であるのかについて真剣に考えていくことが必要ではないでしょうか。