『時代は再び第一次世界大戦前~日本よ、備えはあるか』
第29回
元京都大学教授の故・高坂正堯氏は、国家というものを極めて明確に定義されました。即ち、国家とは「力の体系」であり、「利益の体系」であり、「価値の体系」である、と。
要するに国家とは、軍事、経済、価値の3つ体系から成る存在である、と定義されています。
一方、『文明の衝突』で有名なサミュエル・ハンチントン氏は、現代世界を力は一極、価値は多極の時代である、とも述べられています。
なるほど、国際政治を主導的に動かすことのできるほどの軍事力を有している国は退潮傾向にあるといわれながらも未だアメリカのみです。おそらくEU諸国が軍事的に束になっても現在のアメリカ軍には勝てないでしょう。
しかし、例えば文化面において世界は実に多極化しています。けっしてアメリカ式の生活様式が世界を席巻しているわけでもなく、いかにアメリカ軍の有する「力」が強大であっても価値観までは一極化していません。
席巻していると唯一いえるのは、経済のグローバリズム化だけでしょう。とはいえ、それはアメリカが席巻しているというよりもアメリカすらも席巻されているというべきものかと思われます。
グローバリズム経済だけを例外にすれば、ハンチントンをして「世界は一極・多極混在の時代」と言わしめたのも理解できます。
力の一極化が結果として世界の秩序(平和)に恩恵をもたらします。よって我が国も、秩序維持と戦争抑止のため積極的に集団安保に参加すべきであることを繰り返し述べてきました。念のため申し上げておきますが、集団安保と集団的自衛権は全く概念が異なりますので、お間違いなく。
ただ、アメリカが主導する一極秩序の維持に貢献すること=アメリカに従属すること、ではありません。このことは極めて重要な点です。
例えば今朝、次の2つのニュースが入りました。
『イランと6カ国、核合意の履行を宣言 米欧が制裁解除表明
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK17H05_X10C16A1000000/?dg=1
イランと米欧など6カ国は16日夜(日本時間17日午前)、イラン核開発問題を巡る最終合意の履行を宣言した。イランのザリフ外相と6カ国の調整役を務めた欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表がウィーンで共同声明を発表した。(後略)』
『オバマ米政権、危うい中東戦略
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2016011700035
米国と欧州連合(EU)が対イラン制裁の解除を表明したことで、イランは国際経済に復帰する。このことがイランと対立するサウジアラビアなどアラブ諸国の危機感をあおるのは必至で、両国が深く関与するシリア内戦の終結を主導したいオバマ米政権は、難しいかじ取りを迫られる。(後略)』
日本経済新聞が報じている「米欧が制裁解除を表明したこと」は、それはそれで良しとして、一方の時事通信が報じている記事は、これによりオバマ政権の中東での舵取りが難しくなった、と言っています。(サウジなどのスンニ派諸国がイランと対立しているからです)
さぁこの時、我が日本国がとるべき外交姿勢とは?
こうした時、常に日本外交が対米追従にならざるをえないのは、集団安保に積極的に参加せず、また参加するための国力に応じた基盤的防衛力を整備していないからです。
もっといえば、日本の為政者たちが、困難な外交を常に軍事抜きで切り抜けようとするからです。それに外交は一国だけをみて行うものではなく、世界をみて行うべきものだと思います。くどいようですが、ここでいう「軍事抜き」とは、「戦争抜き」のことではありません。
いま上映されているトム・ハンクス主演の映画『ブリッジ・オブ・スパイ』は、米ソ冷戦に突入した1960年ごろの時代をテーマにしています。
この映画を観ていると、ソ連の衛星国となった当時の東ドイツの姿が現在の日本とよくダブります。そのように観えるのは私だけでしょうか。
ご興味のあるかたは、ぜひご鑑賞されてみて下さい。