ビッグデータは国益か!?
去る6月議会において、ビッグデータについて質問した。
周知の通り国会では国民一人ひとりに番号を振り、保険や年金などの社会保障や税を管理するマイナンバー法が成立している。
これを受けて国と自治体は、2016年から12ケタの個人番号で社会保障や税に関する個人情報を管理し、行政の効率化とサービスの向上を図っていくことになる。例えば2017年1月からは、マイナンバーを使った個人向けのインターネットサービスもはじまり、自分専用のマイ・ポータルというサイトで年金情報の閲覧や確定申告の手続きができるようになる。
一方、政府は新たなIT戦略として、各府省がもつデータの形式を統一し、2014年度にも一括検索を可能にしようとしている。政府の保有情報を民間ビジネスに活用する仕組みを導入し、新産業の創出につなげていきたいということであり、また大量の電子情報であるビックデータを商品開発などに使う際に個人情報を保護する制度づくりも同時に進めていくとのことである。
ビッグデータとは何か・・・
ビッグデータとは、従来の情報処理技術では記録や保管や解析が難しかった膨大なデータのことで、新聞の朝刊にして数十万年分のデータ量である。例えば日経の朝刊は一部で約25万文字であり新書にして概ね2冊分のデータ量となる。この25万文字×数十年分の文字数、すなわち数百テラバイトという膨大なデータ群をビックデータという。情報技術の進化により、こうしたビックデータを高速で解析できるようになり、幅広いサービスへの応用が期待されている。その市場規模は2020年におよそ1兆円と言われている。
要するに国は、膨大な行政情報および公共データをビックデータとして民間開放し新産業を創出しようとしている。
情報に関する政治・行政の責任とは
行政がもつ情報には、個人や企業の生のデータと、行政目的のため加工された個人や企業のデータの二つがある。両方とももちろん大切なのだが、後者は行政目的のために集約整理されているので商売にも便利な情報になっている。従って、これを盗まれたらまさしく行政は泥棒の下請となる。
また自治体は情報について二つの責務がある。第一に、集めた情報を完全に守り管理すること。第二に、集めた情報を行政目的のために的確に使用することだ。例えば、治安の維持や税金の確実な徴収等を含め国民生活の向上を実現しなければならない。
米国のネット覇権と情報覇権
さて、インターネットなどを通じてアメリカ政府が個人情報を極秘に集めていた問題が世界中に波紋を広げている。今やアメリカのCIAが世界中のTwitterやFacebookの投稿を日々監視していることは周知の事実であり、CIAの最高技術者イラ・ハント氏が「世界中で増え続けている携帯メールからTwitter、動画といったあらゆる情報の全てを入手したいと考えている」と堂々と発言している。
しかしこのことは驚く側に問題があるのであって、アメリカのみならずイギリスやフランスやドイツをはじめ、まともな国家であればどこの国でも同じことをやっていると認識するのが国際常識である。
6月18日の日本経済新聞2面には「世界のデータの8割以上が米国を経由している」とある。インターネットを使用するとほとんどの情報がアメリカで読まれていると考えなければならない。日本でもLINEのサーバーは韓国にあるし、NTTデータまでが釜山のデータセンターを拡充しようとしている。例えば川崎市の職員の携帯通話やメール、パソコン経由のメール、グーグルやアマゾンを利用することでのデータ流出は膨大なものとなっているだろう。自治体も住民も情報はどんどん吸い上げられている。
すでに年次改革要望書で要求されていたビッグデータ
こうした中で、情報保護を徹底するより先に前のめりにビックデータや公共データの民間開放で新産業を創出しようとするのは軽率で危険であると言わざるをえない。
そもそも「ビッグデータ」と言う言葉は、安倍総理が就任してまもなくの訪米の直前に新聞の第一面に大きく登場した。いささか唐突なデビューだったと言ってよい。
しかし実は、集積されたデジタルデータを商用利用できるようにしていく、ということは小泉内閣時代の年次改革要望書の中でアメリカから要求されていたものである。当時は郵政民営化に焦点があたっていたため、おそらくまだ時期が熟していなかったこともありあまり強く要求されなかった。
このことを踏まえると、一般人にとって「ビッグデータ」とその活用は耳新しいものではあるが、これをつかって商売をしようと考えていた人達にとっては、十分に計画されてきたビジネスであるのは明らかである。
こんにちの我が国の政治・行政においては、ビジネスそのものにおいても、この認識、つまり我々でない集団によって、時間をかけて仕組まれてきた仕掛けに、いきなり直面させられている、という危機感が欠如している。
真の情報力とは何か
残念ながら現在の日本は、国家としてネット情報を集める力も、集めたデータを独占し活用する力も、他人が集めるのを妨害する力もそれぞれに不十分である。この状況下において「大きく儲かる新ビジネス」という謳い文句に踊らされているのは、まるで投資詐欺にひっかかるような、いささか欲をかいた素人のようなものだ。そのため、立ち止まって考えて対策しなければ、少しのおこぼれを有難がって大事な財産をただ同然に差し出すことになってしまう。
誰が最大の利益者か
TPPにしても同じだが、特にアメリカが我が国に要求していることについては、まずだれが最大の受益者なのかを考える必要がある。ビッグデータの活用についての議論を聞いていると、そうした発想が皆無であることに危惧を抱く。
確かに21世紀はデジタル情報の世紀であることは明らかであるが、その意味はこれまでは能力的に不可能だった膨大な情報処理が、コンピューターによって可能になり、それによって社会、経済、国家が大きく変わるということである。露骨な表現をすれば、加速度的に、膨大な数、億単位の人間の管理や統制が、人類史上はじまって以来誰も経験したことのないほど容易に行える時代になっているということである。しかも億単位の人間を管理しつつ、同時に特定の一人に照準をあてて操作することも可能となる。
認識しているか、していないか、では大きな違い
このデジタル情報化時代において国や自治体は、国民の個人情報をいかに守っていくか、あるいは全体主義や商業主義からそれらをいかにして守っていくかについて相当に研究し対策しなければならないはずである。
そもそも我が国には国家機密保護法もなく、現状の法整備では例え防衛機密を漏洩しても最高刑は懲役10年でしかない。しかもデジタル情報の特性は、複製がきわめて簡単だということだ。コピー機がない時代は電話帳を書き写さなければならなかった。コピー機ができたら、一枚ずつ機械を通さなければならない。しかし情報そのものは紙の上にあるので、コピーを押収すればそれ以上の漏洩を防ぐことができた。いまはメールを送信してしまえば世界中に届く。つまり、行政が集めたデジタル化された個人情報がいったん盗まれてしまえば、もう回復しようがないのである。記録媒体を押さえたとしても、もう遅い。
こうした時代に、それに対処する法律がない。このように国が無力な中で自治体にできることは限られているが、しかし以上に述べた危機意識をもって、可能な限り保全に努めようとするかしないかで結果は大きく違ってくるものと考えるのだが・・・
真の情報力をもった国家をつくろう
まずはこうした現実を認識したうえでビッグデータを考えることが重要であり、一刻もはやくビッグデータ時代に耐えうる国家を創らなければならない。世界中の情報を集め、分析し活用し工作できる力をもった国家に。