去る6月の川崎市議会定例会で、本市教育委員会が発行する副読本『かわさき2012』について質問しました。この副読本については様々な問題点があり、これまでにも何度か市議会で指摘をしてきました。一部については改善されたものの、未だ不適切な記述が残っています。その一つが「稲作の伝来」に関わる記述です。
副読本の114頁に「稲をつくる方法が現在の朝鮮半島や中国から移り住んだ人々から伝わり・・・」と記載されているのですが、この記述は極めて不適切です。その理由は下記のとおりです。
まず、稲は陸稲(おかぼ)として既に4000年ほど前の縄文時代後期から栽培されていたようですが、我が国の文化を形成した水田稲作は弥生時代に九州で発祥しました。その稲の原産地は揚子江の中流域あるいは下流域の暖かい地域です。それが朝鮮半島を経由して日本に入ってくることは極めて不自然です。なぜなら、ソウルの緯度は新潟県の長岡市の緯度と同じであり、冬の寒さは札幌市なみです。日本にはない床暖房であるオンドルが発達したのもこの寒さが原因です。例えば、揚子江からシナ大陸の東海岸をさかのぼって山東半島に至り、そこから朝鮮南部に至った流れも考えられないこともありませんが、稲が南方の植物であること、あるいは暑さを凌ぐための建築様式である高床式住居が日本にあって朝鮮半島には存在していないことなどを考慮すると、むしろ揚子江流域から九州地域への直接伝播のほうが素直な解釈です。
稲作が入ってきたころの古代日本人の生息地は主として九州でしたので、南方の稲が九州より北方である朝鮮半島を経由して伝わるというのは、どう考えてみても不自然です。おそらくほぼ同時期に稲作を伝えた人々の主力が九州に、そしてその枝派が朝鮮南部に到来したのだと思われます。
尚、ここで問題なのは「中国」という用語の使い方です。本来、中国とは国号ではありません。これは「天朝」や「上国」と同様の中華思想の表現ですが、中華民国や中華人民共和国によって、あたかも国号であるかのように使用されています。ただし、それはあくまでも漢字使用国に対してのみの話で、国語に漢字を用いない文化圏に対してはシナはシナであって、そうした国々では中国などとは呼んでくれません。
したがって、稲作が「中国から伝来した」というのは完全なミステイクな表記です。正しくは「揚子江流域から」、あるいは「シナ大陸から」とするべきであり、あえて卑屈を我慢して言うのであれば「中国大陸から伝来した」と表記すべきです。「中国から」と記述してしまうと、読み手は中国という国家から稲作が伝わった、と勘違いしてしまいます。
稲作の伝来は、我が国文化の起源にもかかわる大事なことがらです。朝鮮半島からの伝来説は極めて怪しいことからも、ここの記述は「現在の揚子江沿岸地域から稲作技術が伝わった」とするべきです。
驚くことに最近では、朝鮮半島の人々は「生け花」も「空手」も「剣道」もすべて“朝鮮が起源”であると言いはじめています。そこに、稲作が朝鮮半島から南下してきたと言えば、そうした朝鮮中心史観からはさぞ歓迎されるのでしょうが、稲作が朝鮮起源だったとは、さすがに金日成でも言えないでしょう。
この他にも、副読本の記述にはインチキなところが多々あります。論理的な根拠を基にして、辛抱強く当局に改善を求めていきたいと思っています。