豊臣秀吉がまだ羽柴秀吉と名のっていたころ、彼は織田軍団の中国地方方面軍司令官のような立場にあった。中国地方方面軍司令官とは、すなわち毛利攻めの総司令官だ。
秀吉は中国地方の覇者である毛利家を織田家に屈服させるために、備中高松城を取り囲み水攻めにした。落城は時間の問題だった。
そのとき、秀吉の兵が陣中に紛れ込んだ不審者を捕らえた。その不審者は毛利側に「本能寺の変」を伝える為の密書を持っていた。この不審者を発見したことが秀吉の幸運となった。秀吉がこの幸運にありつけたのも、当時の秀吉軍の軍規が極めて厳格であったことの証しである。
昨年末、オウムの平田容疑者が警視庁に出頭したとき、警備を担当してた機動隊員はイタズラだと思い取り合わなかったという。警視庁の組織としての規律は厳格か?!