世界は今、国民国家解体の時代に向かっている。
その要因は、デジタル化による情報処理技術の飛躍的進歩と、それと連動する実需なき金融の肥大化だ。
例えばアフリカには、国家成立の経緯もあって、国民国家として、その国土全体を面として向上させていくような、そんな統治をできる国家がほとんどない。一方、アフリカは資源の宝庫であり、世界的な鉱山会社や投資会社が資本を投下している。アフリカにはそうした産業による発展の道がある。面として発展させる時間と費用を考えると、むしろ拠点としての各都市を発展させたほうがより効率的だ。国家相互の紛争を避ける仕組みをつくって国境の垣根を低くし、点としての都市のネットワークをアフリカ全土に張り巡らせる。そのことがアフリカ全体の繁栄の網となっていく、という方向にこれからは進んでいくのだろう。アフリカのビジネスマンやパワーエリート達にとっても、その方が活躍の舞台をつくる時間が早く、かつ規模も大きい。つまりアフリカ版EUだ。同様のことが、旧ユーゴスラビアなどが含まれるバルカン半島のほか、南米やインドシナ(アセアン)でも起きていくにちがいない。これが世界的な地域統合の流れである。
しかし、国民国家解体の時代だから日本も解体して東アジア共同体に、という考え方は間違っている。この「世界的潮流」のただなかにあって、唯一日本だけが「国民国家」を維持できる国であることを知るべきだ。なぜなら日本は一国家一文明の国なのである。EUが目指しているのは、同一文明圏が一つの政治体として統合されることだ。それを既に体現化した姿が日本なのであるから、日本こそまさに究極のEUといっていい。
固有の言語、固有の宗教、固有の王朝を有し、それらがいずれの文明圏にも属していないという点で、日本はまさに一個の独自文明圏である。また一国でやっていけるだけの国家的規模を有しているので一文明一国家が成り立つ。
私たち日本人は、この一国家一文明という日本の在り方を解体させてはならない。道州制や地方分権を推進するとしても、我が国の一国家一文明という文字通りに「有り難い」在り方をけっして破壊してはならない。
「さらば、わが愛する祖国よ、陽光あふれる国よ・・・」
これはフィリピン独立の英雄ホセ・リサールが処刑される前日にスペイン語で書いた愛国長編詩の冒頭である。フィリピンの元々の言語であるタガログ語でなく、殖民者の言語であるスペイン語によって独立の英雄が遺書を書く。このことは、フィリピンが「国語」で古典を持っていないことを示している。
例えば、聖徳太子・織田信長・西郷隆盛といった日本の一流の人物が書いた文章が全部外国語であって、私たちも外国語を「国語」化し、日本語はただ日常の卑俗な会話にしか使われない状況を想像してみよう。言語の独立がどれほど尊く大切なことか、実感できると思う。
あるいは、神道を柱にして仏教と儒教が融合した宗教もまた日本独自のものである。その柱である神道を支えているのが、世界でたった一つ「万世一系」を保っている天皇と皇室である。
これからの保守は、君主、宗教、言語の独立のみならず、経済金融力、技術力、情報力、軍事力など、国家の基幹となるものを「独立」させる、つまり自前化=国産化する意志を持たなければならない。その一方で、日本の工業製品だけでなく、文化、伝統、文芸、情報、映画などのソフト作品、インフラ技術、社会制度などを、押し付けがましくなく世界に普及させる覇権意志を持たなければならない。そうでなければ、将来にわたって、国の独立を維持し、平和と繁栄を築くことはできない。
平成23年の建国記念の日に。