去る5月27日は、幕末の偉人として有名な小栗忠順(上野介)公のご命日でした。
5月22日には、菩提寺の東善寺において小栗の遺徳をしのぶお祭りが開催されました。
毎年の恒例行事ということで、方丈さん(ご住職)からたびたびご案内を頂いておりましたが、公務の都合でなかなか参加することが叶いませんでした。今年、その夢をはじめて実現することができました。
(左)3年ぶりに墓前にてご冥福をお祈り
ことしは非命没後、138回忌の年でした。村民体育間(群馬県倉渕村)と東善寺境内では小栗上野介父子・家臣・村人を追悼する「小栗祭り」が盛大に開催されました。
小栗上野介といえば、幕末、日米修好通商条約締結にあたって、国家を代表して渡米したことで知られています。因みに、勝海舟の咸臨丸はその護衛船です。
渡米した小栗は、江戸からパナマまで「ポウハタン号」に乗船しました。パナマから汽車で東海岸へ出て、「ロアノウク号」でワシントンまで移動しました。帰りはニューヨークから「ナイアガラ号」に乗船してアフリカを経由して日本に帰国しました。つまり小栗は、3つの船にのって世界一周を経験したことになります。その3つの船はいずれもアメリカの軍艦でした。
帰国後、小栗は横須賀造船所建設に心血を注ぎましたが、この世界の海を自由に往来する近代的テクノロジーに大きな刺激をうけたものと思われます。
後の日露戦争・日本海海戦において、バルチック艦隊を迎撃することができたのも、この横須賀造船所の功績によります。戦後、東郷元帥は小栗の功績に感謝の意を示し、「仁義禮智信」の扁額を小栗遺族に対し贈呈されました。
(左)東郷元帥から 小栗遺族に送られた扁額。 |
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(左)小栗がワシントンまで乗船した「ロアノウク号」の模型。今回のお祭りでは、その帆船模型の除幕式が行われました。 | |
(左)小栗がPFI方式で完成させた「築地ホテル」。幕末当時、PFIという発想を持ち合わせた小栗の先見性に感服。この絵は葛飾北斎が描いたもの。 |