◆創るは易く、壊すは難し
新年にちなみ、「新」という文字を漢和辞典で調べてみた。
文字の成り立ちを解いてみると、「木」を「斤」で切る、ということらしい。木を切ったときの切り口のみずみずしさが、新鮮さの象徴だという。
さらには、「シン」の発音は「辛」がつくりになっている。この「新」という文字の由来に、改革という政治的大業の本質がこめられていたことに、いまさらながらおどろかされた。
「斤る」には勇気と覚悟が必要で、同時に「辛さ」もつきまとう。
行政であれ、経営であれ、あるいは政党であれ企業であれ、およそ組織というものは、常に改革という名の進化が求められる。また、時代の安定期には小さな進化で難をしのげても、変革期には体制を一新するほどの大きな進化が求められる。
むろん、改革とは「斤る」ことである。
しかし、いつの時代でも、その組織に堆積した古き慣習や既得権益が進化を妨げる。ときに退化の触媒にさえなることもある。
組織の構成員一人ひとりが、たとえ優秀であったとしても、組織改革ほど難儀なものはない。
太平洋戦争のときの日本陸海軍もそうだった。
とても勝ち目がない、ということを優秀といわれた官僚軍人たちはうすうす気づいていたにちがいない。しかし、「降服」という選択を主張するものはいなかった。いや、できる雰囲気ではなかったであろう。このことは壊す(斤る)ことの難しさをものがたっている。
私は政治を志すにあたって、創る前にまず、壊すことが必要かつ重要であると考えている。
壊すといっても、すべてを壊すわけではない。日本のよき伝統や文化など未来にひきつぐべき不変的な価値もある。これら不変的価値が木の根っこの部分にあたる。日本社会という大木の根を守りつつ、制度疲労をおこした古き体制と発想という大木の幹を、改革心という斤でばっさりと切る覚悟と勇気と行動力がいま求められている。