三宅隆介
私は、公立小中学校の不登校児童問題、そして、小中学生の学力とモラルの低下といった、これら教育問題について、まず教育長に対し、一問一答形式で質問をさせていただきます。
本題に入る前に、教育長にお尋ねさせていただきたいことがございます。私たち日本人は今、相次ぐ凶悪事件や自殺者の急増、あるいは不景気の長期化、そして、不安定化している国際情勢などを背景にして、まさに殺伐とした社会に身を置いているわけであります。このようなうっくつとした社会をなぜ招いてしまったのかということを考えたとき、私は現在の教育問題と強く結びついているような気がしてなりません。その辺、教育長はどうお考えになっていらっしゃるのでしょうか。まず、教育長としての基本認識をお尋ねいたします。
教育長(河野和子)
教育問題についての御質問でございますが、現在の社会に見られるさまざまな問題と、教育が抱える課題とはかかわりが深いと考えております。今、教育に求められておりますのは、変化の激しいこれからの社会の中で、将来直面するさまざまな課題を解決する力、「生きる力」を育てることでございます。この教育の転換期に本市といたしましては、自立と創造への新しい教育を目指して、かわさき教育プランの策定に着手し、取り組んでいるところでございます。以上でございます。
三宅隆介
教育長の御答弁の中に、「生きる力」という言葉がございました。この「生きる力」というのは私流に解釈をさせていただくと、自己の確立ということになろうかと思います。また、自己の確立というのは、みずから選び、みずから決断し、そして、みずからの決断に全責任を持ってこそ、初めて自己の確立と言えるのだと思います。
しかし、既存の公立小中学校に通っている限り、その選ぶ力はなかなか育ちにくいのではないでしょうか。その理由として、まず学生によって学校を選ぶことができません。むろん教員を選ぶこともできません。与えられた学校で、与えられた科目を、与えられた教科書で生徒が勉強する仕掛けになっているからであります。このような与えられ尽くしの環境の中で、どのようにして自己が確立されるのでしょうか。ましてや生きる力を身につけることなど、到底不可能だと言わざるを得ません。その証明として、現在、全国で13万4,000人にも及んでいる不登校児童の問題があるのだと思います。
この不登校児童の問題は、確かにその原因はさまざまであります。しかし、多くの場合、学校そのものに魅力を感じることができず、不登校になってしまった子どもたちもたくさんおります。不登校児童がなかなか減らない理由は子どもに問題があるのではなく、特色や魅力に乏しい学校側に大きな問題があるのではないでしょうか。つまり、不登校は子どもという小さな消費者の反乱であり、子どもやその親御さんに選ばれていない学校側に大きな問題があるのだと思います。教育の消費者たる子どもやその親御さんに選ばれない学校がもしあるのだとすれば、その学校は教育機関として不適切であるという認識をまず持つことが学校改革の原点だと思いますが、いかがでしょうか。
教育長(河野和子)
子どもや保護者のニーズにこたえる学校づくりについての御質問でございますが、学校教育につきましては、子どもや保護者と教師との信頼関係があって初めて成り立つものと考えております。そのためには、学校は教育内容について積極的に情報を発信し、学校の説明責任を果たしていくことが大切だと考えております。現在、各学校では学校教育推進会議が設置されておりますし、中学校区ごとに設けられている地域教育会議もございますので、それらの組織も十分に活用しながら、子どもや保護者から信頼される学校づくりが図られるよう、教育委員会といたしましても支援してまいりたいと考えております。以上でございます。
三宅隆介
次に、公立学校における倫理・道徳教育についてお尋ねいたします。すべての小中学生がそうだというわけではありませんが、昨今、子どもたちのモラルや道徳の低下が際立っているように思えてなりません。道徳心や倫理観というものは、本来、学校教育だけで賄うことには限界があり、家庭教育の範疇であると考えます。そのことを学校側もはっきりと各家庭に対して宣告すべきだと思います。
例えば、アメリカでは、小学校に1年生が入学してきたとき、担任の先生が必ず生徒たちに言って聞かせることがございます。それは、もし先生の言ったことと自分の親の言ったこととが違っていた場合、親に言われたとおりにするようにと、しつけの主体者はあくまでも親であって、絶対に教師や先生ではないということを明確にいたします。日本の公立学校も、その点をきちっと明確にすべきではないでしょうか。教育長にお尋ねします。
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教育長(河野和子)
家庭における教育についての御質問でございますが、子どもを取り巻く環境が大きく変化する中で、基本的なしつけや規範意識、社会性などの育成が求められている今、家庭教育の果たす役割は大きいととらえております。子どもたちの心を育てるためには、学校と家庭とがそれぞれの役割を認識しながら協力することが大切であると考えております。
学校におきましては、道徳教育を初め豊かな体験活動や読書活動などを取り入れて、子どもたちに道徳心や豊かな感性を育てるように努めております。家庭におきましても、親子で出かけたときに公共のルールについて考えたり、家族の団らんを大切にしたりするなど、実際の場面に即して心を育てていくことができると考えております。
このような家庭における心の教育の必要性につきましては、保護者会や面談などを通して伝え、協力を求めているところでございます。また、市民館やPTA活動で行われております家庭教育学級などでも、子どもを持つ親同士の意見交換等で家庭教育の役割の重要さについて話し合っているところでございます。今後も、学校における道徳教育と家庭教育との連携をより一層図り、子どもたちの心が育つよう、努めてまいりたいと考えております。以上でございます。
三宅隆介
例えば、イギリスの一部の自治体では、教育委員会を民営化しております。子どもたちの学力を高めることを目的に、民間の教育コンサルタント会社に教育委員会の業務を委託しているわけでありますが、こう言いますと、教育の目的は学力だけではないという反論をされる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、イギリスでは、しつけや道徳はすべて家庭で行うものという基本思想がございます。教育委員会の民営化といっても、イギリスにおいては全く驚くには値をしないということであります。
私は、今の教育委員会の姿勢は実にあいまいな態度だと思っておりまして、このあいまいさというものが、子どもたちの倫理の退廃につながっている点を強く指摘をしておきたいと思います。
次に、学力低下の問題についてお尋ねをいたします。文部科学省の調査によれば、我が国の子どもたちの理数系の国際水準は比較的高くなっているものの、いわゆる文系の分野においては、かなりの低い水準にございます。特に、国語力の低下と歴史への関心の薄さが目立っているように思えてなりません。国語力の低下は自分の意思を相手に伝えることが十分にできないことにつながり、あるいは、相手の主張を理解するための能力を欠くことにもつながります。例えば、長いセンテンスをきっちりと言えるようにならなければ、大人になって人の話も聞けず、何を言っているのかもわからず、そのため生涯のつまずきをすることも少なくないのではないでしょうか。そして、歴史への関心の薄さは、日本という国の文化への理解や、現代人として持つべき未来観の喪失にもつながります。
とりわけ、この2つの学力を高めるための改革が急務であると考えます。そこで、教育長に再度お尋ねをいたします。例えば、文部科学省や教育委員会指定の教材だけでなく、教員みずからが教材をつくって子どもたちに教えていく、こうしたことが極めて自然な姿だと思いますが、そういう時間と機会を教員の皆さんに与えることこそ、教育委員会の仕事だと考えますが、いかがでしょうか。
教育長(河野和子)
教師みずからが教材をつくって教えることについての御質問でございますが、教科の指導におきましては、教科書の使用を中心としながらも、常日ごろから教師みずからが作成した教材や補助資料も活用して指導しているところでございます。また、平成14年度から総合的な学習の時間が始まりまして、各学校におきましては、国際理解、環境、福祉、健康など、教科・領域等の内容にとらわれずに地域や学校、児童生徒の実態、興味関心に応じたカリキュラムを編成しております。その中では、子どもとともに学習計画を立て、教師自身が教材を開発し、資料を作成し、体験的、問題解決的な学習に取り組んでいるところでございます。以上でございます。
三宅隆介
現在、父母の教育負担を軽くするために多くの予算が使われていますが、税金で補助をすれば必ずしも父母の負担が軽くなるとは限らないと思います。その一例として、教科書は今、政府負担で無料配付されています。このおかげで教科書を購入する費用だけ父母の負担は少なくなると思われがちですが、必ずしもそうではございません。教科書が政府の負担で一定の価格に限定されておりますので、教科書にかけない分は副読本を別途購入しなければいけないことも珍しくありません。結局、教科書を学ぶだけでは不十分のため、塾に通うことにもなります。なまじ教科書を政府負担にしているばかりに、父母はその何倍もの負担を負っているという現実もあるのではないでしょうか。もし教科書を自由化し、そして多様なものを許容すれば、各学校はそれぞれの特色を発揮した教科書の選び方をするのではないでしょうか。あるいは、多少高くても副読本の要らない学校も出てくるのではないでしょうか。
やはりこうした抜本的な公立学校の改革を行うには、学区の撤廃や拡大、あるいは学校設立の規制を緩和し、学校情報の徹底公開を行い、教育を受ける子どもやその親に教育を選ぶ権利をお返しするべきではないでしょうか。例えば、昨今深刻化しているいじめの問題も、学区制という強制入学制度が生み出した害悪の一つにすぎません。学校を選ぶ自由があれば、ひどいいじめに遭う生徒は自由に転校できますし、転校者が続出したら困りますので、学校側も教員側も注意深くなると思います。今日のように、いじめで自殺する生徒が出ても気がつかなかったで済むわけにはいかなくなるわけであります。教育長いかがでしょうか。
教育長(河野和子)
子どもや保護者が学校を選ぶことについての御質問でございますが、いわゆる学校選択制度につきましては、実施している自治体での課題として、過度の競争を招き学校間格差を生じる可能性があること、特定の学校に希望が集中すること、児童生徒の通学の負担の発生や、学校と地域との連携が希薄になる可能性があることなどの問題が指摘されております。また、この選択制度の効果といたしましては、保護者や児童生徒がみずからの希望に沿った教育環境で教育を受けられること、学校を選択することで保護者の学校への関心を高め、積極的な協力や参画が期待されること、また、各学校が切磋琢磨することで特色ある教育活動が図られることなどの効果が挙げられております。
本市における通学区域の見直しにつきましては、子どもたちの良好な教育環境の整備を図ることを目的として、小・中学校の適正規模・適正配置検討委員会を平成14年10月に設置したところでございます。現在、本市の実情の把握と課題を整理しておりまして、基本的な考え方につきまして、9月を目途にまとめる予定でございます。今後は、さらにこの基本的な考え方に基づき、具体的に通学区域の再編等を検討する中で、学校選択制度についても研究してまいりたいと考えております。以上でございます。
三宅隆介
公立学校と私立学校との比較の中で、公立は安くて私立は高いという議論がよくございます。これは費用の問題です。なぜ公立が安いかといえば税金で賄われているから負担がないわけでありまして、子ども1人にかかっている費用は、公立も私立も私は余り変わりがないのではないかと思います。
例えば、公立中学校では、生徒1人に対して、年間およそ85万円の税金が使われていると言われております。一方私立では、それぞれの学校によって多少の差はありますが、大体1人90万から100万円の費用がかかっていると言われております。公立はすべて税金によって賄われますが、私立は自分で負担をしなければならないという違いしかございません。であれば、もし仮に85万円の教育クーポン券を中学生とその親に発行して、公立でも私立でもどちらでも好きな方を選択させ、不足金額のみを自己負担させるという制度をつくった場合、恐らく圧倒的多数の方々が私立学校を選択していくのではないでしょうか。それほど今の公立学校には大胆な改革が求められているということを指摘させていただきたいと思います。
また、地方分権が叫ばれている昨今、私はこの教育問題こそ、地域の特性を生かしていくべきだと思います。先ほど教育長がおっしゃった「生きる力」という言葉は文部科学省がつくった言葉でございまして、文部科学省の言っていることを右から左へ流していくだけの教育委員会であれば、私は教育委員会としての存在意義はないと思っております。もし仮に教育を自由化し、アメリカやヨーロッパの教育機関が日本に入って、そして学校選択を自由化した場合、これはあくまでも仮定の話でございますが、恐らく日本の公立学校はどんどんつぶれていってしまうのではないでしょうか。民間人を校長先生に起用する程度の改革では何の改革の効果もないということを指摘させていただき、公立小中学校の思い切った改革を強く要望し、教育長への質問を終わらせていただきたいと思います。
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この間、他の質問有り
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それでは最後に教育長に、再度、要望といいますか、意見を申し上げさせていただきたいのですが、先ほど、学区制の撤廃や拡大、こういったものを見直すのはなかなか難しいのではないかというお答えだったかと思うのですが、この学区制というのは、そもそもナチスのヒトラーが国家統制を目的につくった制度だと私は聞いております。いかに子どもたちの個性をなくすか、協調性を重視するか、そうしたことを植えつけるためにつくった制度だと私は聞いております。
学校に特色を出させて子どもたちの協調性を育てる教育をするためには、申しわけございませんが、やはり先生方にも多少の競争を、教育者としての、供給者としての競争をさせることが大事だと思います。本来、競争というのは供給者がしなければいけない話なんですけれども、今の学校教育というのは受験戦争といって、教育の消費者、子どもたちが競争しているという、こういう状況だと思うんです。だからこそ、教育の退廃が今進んでいるのではないかという点を御指摘させていただいて、私、三宅隆介の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。