昨日の8月15日は「終戦記念日」とされていますが、実は昭和天皇が終戦のご詔勅を渙発(発布)されたのは、その前日の14日で、日本政府がポツダム宣言の受諾を通告したのも14日です。
また、大本営が全軍に停戦命令を下達したのが71年前の今日(8月16日、午後4時)です。
この陛下のご詔勅と停戦命令によって、海外の地で奮戦していた将兵を含め、600万人の日本軍将兵がピタリと戦闘を止めました。敗れはしたものの、当時の日本軍の軍規が至って厳格だったことがわかります。
「そんなのあたりまえじゃないか・・・」という人は、古今東西の軍隊なるものを知らない無知です。
例えば占領国軍たる米兵は、日本政府に用意させた慰安所だけでは満足できず、日本の民家に押し入っては女性を強姦してまわりました。当時の調達庁の調べによれば、占領期間中に米兵に殺された日本人は2,536人にのぼり、その中には強姦に絡むものも多かったようです。
米兵を含め、そもそも白人国家の軍隊は戦時における略奪・強姦を常としています。
なぜか蒋介石軍は、その点だけは白人に教わることなく常としていました。
以前に当ブログでも書きましたが、大陸への領土的野心など全くなかった日本にとって、シナ事変を戦うことの戦略的利益など何一つありませんでした。
こんな戦いなど早くやめて大陸から撤兵し、英米など白人国家らが仕掛ける経済封鎖への対策対処に全力を傾注したかったくらいです。
シナ事変が終わらないのは、米、独、露などの白人国家らが蒋介石に知恵と武器を提供して日本軍に攻撃を加えさせていたからです。
ちなみに、「白人が応援してくれるのなら日本軍を攻撃しよう」という蒋介石は、「野党4党が応援してくれるなら都知事選にでてやろう」と欲をかいた鳥越俊太郎みたいな男でした。
有色人種のくせして我ら白人国家様と互角に渡り合う日本、そんな日本をどうしても封じ込めたい彼らにしてみれば蒋介石ほど使いやすい便利な男はいなかったのでしょう。
その白人国家らが「大陸から撤退しないと経済封鎖は解除しないぞ」と、蒋介石に手を焼いている日本に迫っていたのですからフザケタ話です。
しかし、どんなに白人から知恵と武器をもらっても、そこはシナ人の悲しい性でどう逆立ちしても日本軍には勝てない。仕掛けては負け、負けては敗走し、やがてまた停戦協定を破って攻撃を仕掛けてくる、それが蒋介石軍でした。
敗走するにも、ただで敗走しないところがまた凄いのですが、では敗走する蒋介石軍が何をしたか。
まずは同胞の家々に押し入って住民を追い出し家々の食糧を略奪する。家々の井戸にコレラ菌を撒き、長江の堤防を決壊させ街を水没させる。
蒋介石に言わせると、それが追撃してくる日本軍を足止めさせるための適切な作戦なのだそうです。
停戦協定を結ぶにも、交渉相手となる蒋介石を捕まえないと話にならない日本としては、追いたくもないけど蒋介石軍を追います。
そこで日本軍は何をしたか。
蒋介石が決壊させた堤防を修復して街を水害から救い、蒋介石軍によってコレラ菌を撒かれた井戸水を防疫し、コレラに感染してしまった無垢のシナ人を治療しました。蒋介石軍に家を奪われ食糧を略奪されたシナ人たちにコメも配りました。
蒋介石軍が敗走するたびに、日本軍はこうした復旧復興・被災地支援を大陸で行ってきたのです。それがシナ事変です。
ところが、あの国際法に基づかないインチキ裁判(いわゆる東京裁判)によって、これら大陸で蒋介石らが行ってきた悪行がことごとく日本軍のやったことにされてしまったのです。
いま、私ども日本人が知るべき歴史はまだまだあります。