本日8月15日は敗戦の日。
71年前の今日、昭和天皇は終戦のご詔勅を玉音放送されました。
その後、過酷な占領政策がはじまり、「日本が悪かった史観」をすべての日本国民に植えつけていくためのありとあらゆる手立てが施されていくことになります。
その一つが、例えば極東国際軍事裁判(東京裁判)であったり、あるいは学校での歴史教育であったりと。
戦局が米国側に優勢となり、ほぼ勝利が確実視されていた昭和18年の段階で、すでに米国は「太平洋戦争史」という米国側に都合のいいインチキ戦争史をつくり始めていました。
例えば、日本はアジアだけでは飽き足らず、恐れ多くも我ら白人様の米国までをも侵略し、最終的には世界を支配することを目的に戦争を仕掛けてきた、と。
現在、多くの日本人が抱いている「日本が悪かった史観」は、このメイド・イン・USAの「太平洋戦争史」に起因しています。これを東京裁判で強引に認定し、日教組という左翼団体を通じて学校現場で普及させる、それが占領政策(戦後教育)です。学校では「大東亜戦争と言ってはいけません。太平洋戦争と言いなさい」と教えられるのはそのためです。
だから戦後教育をもろに受けた世代は、「日本は侵略国家だったぁ~」となります。そのことが、米国やシナやコリアが日本にたかることの正当性を与えています。
日本が真珠湾を攻撃したのは米国を侵略するためではなく、ただ単に石油をはじめとした資源の禁輸を解除してもらいたかっただけ。禁輸が解除されれば、むろん停戦するつもりでした。
今では明らかなように、当時、日本と戦争したかったのはむしろ米国のほうで、そのために石油を止めていたわけですから手のつけようもありません。当時、デフレ不況にあった米国は戦争需要で景気を回復する算段でした。事実、その後、失業率を低下させ景気回復に成功しています。
戦争しないことを公約にして当選したフランクリン・ルーズベルト大統領としては、どうしても相手国から攻撃を仕掛けてもらう必要があったのです。そのための石油禁輸でした。
また、日本が大陸で戦闘状態にならざるをえなかったのは、米・独・露などの白人国家に知恵と武器を授けられた蒋介石軍が日本租界に仕掛ける攻撃から、日本人居留民を守るためです。日本人居留民の安全が確保されれば、日本が大陸で闘う必要は全くありませんでした。
「日本は中国を侵略した」とか言っている人たちは、カネも道徳もない卑俗の寄せ集めだった蒋介石軍が、どうして当時としては最新式の武器や技術をもっていたのかを、一度でも考えたことがあるのか。
それに、日本がアジアで闘った相手はアジア人ではなく、そこを植民地支配していた宗主国たる白人国家です。彼らをアジアから追い出さないとネイティブアジア人たちは独立できず、同時に彼らが独立することにより日本に資源を売ってくれることも可能になるからです。
断っておきますが、資源が入らないと近代国家を運営できない世界に我が国を引き摺り込んだのは、米国をはじめとした白人国家たちですよ。「近代国家をつくって軍隊をもたないと、いずれ白人国家の植民地にされるよ」と脅し、鎖国していた日本を無理やり開国させたのですから。
東京裁判を主催したマッカーサーは、日本を50~100年スパンで半永久的に占領統治する予定だったそうです。
ところが、朝鮮戦争の勃発で彼の考えは180度変わります。
昭和25年、スターリンとシナに支援された金日成軍が国境線を越えて朝鮮戦争が勃発。劣勢にたった米軍は朝鮮半島から叩き出されそうになりました。
スターリンが金日成を支援する拠点は満州でした。よって、敵の支援ルートを遮断するには満州を爆撃して、そこを抑えておかねばなりません。また東シナ海に面する港の封鎖も必要です。
そこでマッカーサーは「はっ」と気づきます。
ソ連が満州を盗り、大陸が不安定化すると日本の安全保障が確保できなくなることを。そしてこのままでは、せっかく獲得した日本が赤化(共産化)されてしまうことを。
これって、戦前・戦中に日本が主張していたことじゃん・・・
そのうえ石油まで止められてしまったら、「ルクセンブルクやモナコのような、どんなに小さな国でも立ち上がらざるをえない」(パール判事)状況であったことをマッカーサーは骨の髄まで理解したのです。
だからこそマッカーサーは方針を転換し、昭和28年4月に日本を急ぎ独立させたのです。
先日もご紹介しましたが、1951年5月3日に開かれたアメリカの上院軍事外交合同委員会という公式の場でマッカーサーが証言した言葉です。
「There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」
[訳] 日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が絶たれたら、日本国内で1000万人から1200万人の失業者が出ていたでしょう。日本人は、これを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。(上智大学名誉教授・渡部昇一先生訳)
敵の大将が「侵略なんかじゃない」と言っているんです。