民進党の前原何某衆議院議員がそうであるように、
「靖國にはA級戦犯が祀られているからお参りしない」
という無知蒙昧なコメントが、日本の多くの政治家たちから発せられてきました。そのことが、どれだけ日本の国益を損ねてきたことか。
こうした無知の根底には、いわゆる「東京裁判」に対する無知があります。
戦後政治のパラダイム(ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み)を決定したのが、このいわゆる「東京裁判」です。正式名称は「極東国際軍事裁判」(以下「東京裁判」と呼びます)。
よって、東京裁判を知らずして戦後政治の根本は語れず、正しい歴史観、宗教観、国際観に基づく政治家としての判断などできるはずもないのです。
東京裁判で最も重要なのは、被告たちがいかなる罪(訴因)によって起訴されたのか、という点です。
訴因は3つに分類されます。
第1類 平和に対する罪(訴因1~36)
第2類 殺人罪及び殺人の共同謀議の罪(訴因37~52)
第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪(訴因53~55)
いわゆるA級戦犯とは、この第1類のカテゴリーで起訴され有罪とされた被告たちのことです。多くの人たちが誤解していますが、A級とかB級というのは罪の重さやランクを表しているのではなく、第1類(A分類)か第2類(B分類)かというカテゴリーの違いを表しているにすぎないのです。
マッカーサーは東京裁判所条例の第5条(イ)に、第1類の「平和に対する罪」という新たな罪を設けたわけですが、これは事後法です。
法律は、それが定められる以前に遡って適用することができないのは常識です。
因みに第2類も、通常の戦争犯罪による殺人とは関係のないもので、戦死者がいたらそれを攻撃した側の者はすべて殺人者として裁くというものです。これも事後法。東京大空襲や広島・長崎への原爆で多くの死者がでましたが、なぜか攻撃した側の米国は起訴されず。
東京裁判が裁判の体を成していない、と言われる所以です。
そして東条首相を含め、当時指導的立場にあった28人がこの第1類カテゴリー、即ち「平和に対する罪」で起訴され、1928年から終戦の1945年までの間、一貫して侵略戦争を共同謀議したうえで計画し実行した、という罪で有罪とされたわけです。
第1類の起訴のポイントは、「侵略戦争」と「共同謀議」でした。
東京裁判を主催したマッカーサーは後に「日本は自衛の為に戦った。侵略なんかじゃなかった」と、米国上院軍事外交合同委員会で発言したのはご承知のとおりです。
また、起訴された28人の被告たちで、1928年から1945年まで一貫して政策に携わっていた者など一人もいません。それどころか、この中には政敵同士、ライバル同士だった者もいて一度もあったことのない人までいます。だいたい東条首相だって絶対国防圏を守り切れず途中で失脚しているだろうに。
そもそも東京裁判は、いわゆるA級戦犯たちが共同して侵略戦争を計画し実行した、という歴史をでっちあげて、日本を「悪の侵略国家」に仕立てあげ、日本国民に「日本は悪い国だったぁ~」という罪悪感を植え付けさせることを目的にした政治宣伝セレモニーだったのです。
その後、遅まきながら朝鮮戦争を経て日本が侵略国家でなかったことを知った米国は、急ぎ日本を独立させる方向に向かいます。
結果、昭和27年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約に基づいて独立し主権を回復しました。
このサンフランシスコ講和条約の第11条が重要です。
原文(抜粋)を載せます。
「Japan accepts the judgments of the international Military Tribunal for The Far East・・・・」
これを外務省は「日本は極東国際軍事裁判所の裁判を受諾する」と訳しました。なんと外務省はjudgmentsを「諸判決」と訳さず「裁判」と訳してしまったのです。
そこから「日本は東京裁判を受け入れた」という誤解が蔓延することになりました。
よく反日左翼の人たちが「たしかに東京裁判は不当な裁判だったかもしれないけど、サンフランシスコ講和条約で日本は受け入れているじゃないかぁ~」と、嬉しそうに言っているのはそのためです。
もう一度いいます。日本が受け入れたのは裁判でなく、諸判決です。この事実は極めて重要です。
さらにこの11条には後段があります。
「諸判決の刑については、日本が関係国と交渉して裁量することができる」と。
要するに、関係国が承認すれば戦犯たちの刑の執行を停止しようが無罪放免にしようが日本の自由にしていいよ、ということです。
よって、サンフランシスコ講和条約11条を正しく理解した日本は、その通りにしました。
関係国の同意を取り付け、昭和28年には「戦犯に関する赦免決議」を国会で決議(全会一致)し、終身刑や有期刑で服役していた人たちの刑期を短縮・解放したのです。むろん、その中にはいわゆるA級戦犯も含まれます。
これをもって日本国内には、いわゆるA級戦犯はいなくなりました。A級戦犯のうち、既に絞首刑にされていた人たちの命を生き返らせることはできませんでしたが、彼らの名誉も回復されたのです。
であるからこそ、同じA級戦犯として有罪とされた重光葵(しげみつ まもる)は東条内閣で外務大臣を務めた人ですが、戦後は鳩山一郎内閣の副総理兼外務大臣になっています。重光さんは日本の国連復帰に際し「日本は世界の架け橋になる」と国連で演説して議場の喝采を浴びています。
同じくA級戦犯とされた賀屋興宣(かや おきのり)は東条内閣で大蔵大臣を務めた人ですが、戦後は池田勇人内閣の法務大臣として活躍されています。
そのとき、国際社会はもちろん、北京政府や韓国や朝鮮でさえも「A級戦犯が国務大臣をやるとはけしからん!」などというクレームをつけたことなど一切ありません。
A級戦犯(第1類戦犯)がサンフランシスコ講和条約によって消滅したことは当時の国際常識だったからです。
いわゆるA級戦犯が政治問題化したのは、三木武夫や前原何某のような無知蒙昧な政治家らが表出するようになってからのことです。
以上のとおり、今やこの世にいわゆるA級戦犯など存在していないことを知るべきです。
また東京裁判に際し、第1類で起訴された被告たちが負っている罪は連合国のいう「戦犯」などではなく、国土を焦土と化し多くの将兵や国民を死なせ日本国を敗戦に至らしめた「政治責任」です。それは日本国および日本国民に対する敗戦責任といってもよく、東京裁判とは全く無関係なものです。
彼らの政治責任を裁くことができるのは日本国民だけです。