数日前、たしか産経新聞だったように記憶していますが、鹿児島県の南西沖に沈んでいる戦艦「大和」の最新の海中映像が公開された、という記事が掲載されていました。
既に大鑑巨砲時代が終わっていたといっていい当時にして、大和は大鑑巨砲の究極ともいうべき巨大戦艦でした。
一隻の大和を建造するに費やしたリソースを、最新鋭の空母や戦闘機の製造に投入したほうが戦略的観点からして正解だったろう、とも言われています。
が、それはそれ。
日本は、大和や武蔵などの巨大戦艦以外にも、数隻の大型空母と数万の戦闘機をつくり世界に類例のない空母機動部隊を編制・運用することのできた、当時として稀なる国家だったのです。しかも、明治国家がスタートして以来わずか数十年で・・・まさに偉業です。
当時の世界で、空母機動部隊を編制・運用することができたのは日本と米国の二か国だけです。しかも米国は日本の空母機動部隊を真似しただけなので、日本だけのオリジナルといっていい。
当時、イギリスは空母を保有していましたが機動部隊はもっていません。ドイツは空母すら、あるいはソ連は海軍すらもっていない時代です。
この日本の偉業を可能にした背景に、まちがいなく幕末の偉人である小栗忠順(おぐりただまさ)の功績があります。
功績とは、むろん三浦半島の小さな漁村にすぎなかった横須賀に、我が国の近代産業興隆の起点となる「造船所」(横須賀造船所)を小栗さんがつくったことです。
造船所は、たんに船だけを造っているわけではありません。ネジやボルトやナットを造れば、蒸気エンジンも造り、石炭をたくボイラーも造ります。あるいは造船所内には木工所もあります。このように横須賀造船所は総合工場だったのです。ここから、日本の産業革命がはじまることになったのです。
こうして横須賀造船所の技術やノウハウの蓄積が、のちに呉の軍港に活かされ巨大戦艦「大和」の建造につながり、ひいては民生品の製造技術にも転用されることとなって日本の発展に大きく貢献しました。
であるからこそ、のちの東郷平八郎をして
「日本海海戦の勝利は、小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです」
と言わしめ、
また、大隈重信をして、
「明治の近代化はほとんど小栗の構想の模倣に過ぎない」
とも言わしめました。
小栗忠順の菩提寺である群馬県倉渕町の東善寺ご住職、村上泰賢先生(小栗研究の第一人者)は、
横須賀造船所は、
①総合工場
②蒸気機関を動力源としたアジア初の工場
③人材養成工場
の3つの特質をもった一大工場であった、
と仰せです。
要するに小栗さんは、近代国家における国力の源泉は「ヒト」「モノ」「技術」の3つであることを明確に理解することのできた大政治家だったということです。
なぜ、本日は小栗さんのお話しをしたかというと・・・
ちかごろ、「行政の経営資源は、ヒト、モノ、カネです」という軽薄な首長や議員が増えてきたものですから・・・