昨日(5月24日)、尊敬する歴史上の人物である小栗忠順の遺徳を偲ぶ“小栗まつり”に久々に参加した。小栗まつりは、群馬県高崎市倉渕町にある小栗の菩提寺・東善寺において毎年この時期に行われている。高崎市と言っても、東善寺は高崎駅から約25キロほど北西に下った榛名山系の麓に位置しており、川崎からは一日がかりだ。
我が国の近代化の礎を築いた小栗公。「幕府の命運に限りがあるとも、日本国の命運には限はない」と言って、それまで異論を唱えてきた幕閣重役らに国益の理を説いて『横須賀製鉄所(造船所)』の建設を具現化した。
後に、バルチック艦隊を日本海において撃滅した東郷平八郎元帥が「日本海海戦の勝利は小栗さんのお陰です」と述べているように、もし横須賀製鉄所がなければ日本海海戦の勝利は危うかった。国家100年の計を見据えた小栗公の慧眼と行動力に感服するほかない。
横須賀製鉄所は、蒸気機関を原動力にしてネジから軍艦まで、あらゆるものをつくる総合工場であった。ゆえに、ものづくりに必要な近代技術や組織運営ノウハウは、ここから日本全国に伝播していった。
富岡製糸場が世界文化遺産に登録されたが、富岡製糸場の創業は明治5年(1872)であり、既に慶応年間に蒸気機関を動力にしてスタートした横須賀製鉄所よりも7年遅れている。遅れているというよりも、横須賀製鉄所のノウハウが富岡製糸場に活かされているといったほうがいい。現に、昨年、横須賀製鉄所の刻印が入った煉瓦が2個、富岡製糸場の敷地内で発見されている。よって、この横須賀製鉄所こそ、明治日本の産業革命遺産にふさわしい。
小栗公の功績を学べば学ぶほど、今日の日本では失われてしまった「和魂洋才」の功を知ることができる。
今年は横須賀製鉄所が創設されて150周年という節目を迎えている。加えて、日本海海戦の勝利から110周年目でもある。そう、まさに今頃の時節であり、5月27日が海軍記念日となった所以だ。
改めて、日本国民として、そして政治家の端くれとして、小栗公の偉業に心を馳せた。