今回のIS(イスラム国)による人質事件を受けて、もしも私が安倍総理ならISと国際社会にむけて以下のように演説する…
ISに告ぐ。
諸君らに対し何の危害も加えず、それどころか、中東地域の苦しむ人々の姿を世界に伝えて、正義と人道の実現を訴えてきた我が国国民を諸君は殺害した。これは卑劣きわまりない暴挙であり、まことに許しがたい残忍な行為である。
私はイスラムが文明の宗教であることを知っている。そして大多数のイスラム教徒が、アッラーの教えに忠実に生きようと、敬虔に、平和的に暮らし、世界平和と人類の発展に文明人の一員として寄与していることも知っている。
諸君らはイスラムを名乗っている。そして諸君らの指導者は、イスラム共同体の統治者の称号であるハリーファを自称している。
しかし、そのハリーファを自称する指導者のもとで行われた今回の諸君らの行為は本当にイスラムの教えに忠実なのか。このような行為を是とするのがイスラム共同体なのか。私の知る限り、大多数のイスラム教徒は諸君らの行為をテロリズムと見做し、けっして肯定していないが、彼らはイスラムの教えに反する者とされ、諸君らから処罰されなければならないのか。
確かに、近代中東におけるイスラム共同体の歴史は艱難辛苦の連続であった。その歴史的経緯をみても、列強によって恣意的にひかれた国境線により、この地域の人々の自己決定権が侵害されてきた。
こうした屈辱的な歴史的経緯に憤り、イスラムの家として、自分たちのことは自分たちで決めることのできる国家を創建したい、という諸君らの切なる願いは世界の少なからぬ人々が共感するだろう。しかし、そのための手段がテロリズムであっていいのか。
テロリズムを、特定の政治目的を達成するための、文明に反逆する残忍な手段である、と定義するのなら、わが国と国民に対するテロリズムを断固として許すことはできない。
私たちもかつて植民地化の危機に直面した。神聖な主権の完全性が損なわれたこともあった。私はここで、我が国の先人がそれに対してどう立ち向かったか、を語りたい。
我が先人たちは、欧米列強によるアジアの植民地支配が進む直中にあって、それまでの平和で秩序正しき社会を築いてきた自国のシステムを改め、列強による侵略を阻むことのできる強い近代国家の建設に邁進した。武士の魂たる刀を捨て、自然科学の学問と、近代産業のための技術の取得に努めた。そのために国家予算の3割も使って欧米の学者、研究者、軍人などを雇い、その知識、技術の吸収に努めた。これを「お雇い外国人」という。進んだ列強の技術を自国のものにするためにはあえて仮面舞踏会まで行った。
そうした先人たちの血と汗によって近代国家としての国力を贖い、国際社会に対して主権の全体性を回復するため、粘り強い交渉を進めた。その結果、我が国は植民地化の手始めとして結ばされた不平等条約を一つずつ克服していった。かくして近代国家建設からわずか約40年で、列強の侵略を阻むことのできる主権国家として地位を確立し、国際連盟の常任理事国になるまでに至ったのである。私たちは、決してテロリズムや、革命外交とよばれるような国際法を無視した暴挙暴動によったのではない。
この歩みを私たちは誇りとしている。
この偉業を成し遂げるために、多くの先人同胞たちの計り知れない努力と犠牲があったことも私たちは忘れてはいない。
また我が国は、かつてABCD包囲陣により金融、石油、鉄鋼資源などの禁輸措置により近代国家としての命脈が立たれる危機に直面した。このとき我が先人は座して死を待つことを潔よしとせず、全欧米列強を相手に自衛の戦いに立ちあがった。不幸にして国土は焼き払われ、人類史上初の二発の原子爆弾による殺戮まで受けた。闘いは敗戦に終わり、指導者たちは敵に処刑され、多くの愛国者たちは追放され、国民の財産も奪いとられた。
しかしわが国は、この悲惨と屈辱のなかから立ち上がった。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、テロリズムによってではなく、勤勉と生産によって、今日の大をなした。
偉大な文明の伝統をもつイスラムの人々よ、私はあなた方に問いかけたい。私たちの行ってきたこうした戦い方は、真のムスリム、ムスリマにとって、共感することの出来ない道、間違った道だったのだろうか、と。
ISの諸君。君たちは真にイスラムを名乗る資格があるのか。そして尊敬するイスラムの皆さん、あなた方は、このようなISの存在をイスラムの名において許すのだろうか。
私は、日本国の総理大臣として、わが国と国民の尊厳、生命、財産を守りぬく。同時に私は、わが国が明治以来培ってきた、イスラムとの友好共存関係を受け継ぎより発展させていく。イスラムの人々よ、共に連帯して、残虐と暴力と非道に立ち向かおう。