明治38年(1905年)の今日、日本海対馬沖において、東郷平八郎司令長官の率いる帝国海軍連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を完璧なまでに迎撃撃沈した。来年は、この栄えある日本海海戦勝利から110周年を迎えることになる。そして日露戦争の勝利は海軍のみならず、多大なる犠牲を払いつつ見事に敢闘した陸軍の大いなる功績であったことも忘れてはならない。
ロシアは当時から、不凍港、いわゆる「凍らない港」を欲していた。例えばロシア領沿海州の南端(日本海を挟んだ対岸)にウラジオストクという軍港があるが、この港は冬になると湾が凍ってしまい使い物にならない。ロシアがセバストーポリという要塞のあるクリミア半島に固執する理由も、幕末以来、日本の領土に南下浸食しようとしてきた理由も、実はそうしたところにあった。因みにウラジオストクとは「東方(日本)を獲れ」という意味である。北方領土を獲られたままになっている現在においてもその名は変わっていない。
日露戦争に勝利した明治38年の12月、東郷司令長官は「連合艦隊解散の辞」を表した。辞の起草者は秋山真之参謀である。以下、その一節を紹介したい。
「二十閲月(えつげつ)の征戦すでに往事と過ぎ、我が連合艦隊は今やその隊務を結了してここに解散することなれり。しかれども我ら海軍軍人の責務は決してこれが為に軽減せるものにあらず、この戦役の収果を永遠に全くし、なお益々国運の隆昌を扶持せんには、時の平戦を問わず、まず外衡に立つべき海軍が常にその武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。・・・(略)・・・」
昨日(26日)の午後、南シナ海のベトナム沖でベトナム漁船がChina(シナ)の漁船に体当たりされて沈没した。同日、同海域ではシナ船113隻とベトナム船60隻がにらみ合いを続けたようであるが、シナ船によるベトナム船に対する体当たりや放水が続いているという。
一方、尖閣を国有化して以降も、シナの公船が我が国への領海侵犯を繰り返している。海上保安庁によれば、平均月5回、多い月では28回にも上っているという。また、24日には、尖閣の北方約200キロメートルの東シナ海の公海上空で、海自と空自の情報収集機にマッハ2.3程度のシナの戦闘機が急接近するという挑発行為も起きている。むろん、これらは昨日今日に始まったことではない。
今年の2月に私が衆参両院に提出した『領域警備法の制定に関する請願』は、こうした事態に的確に対応するための法整備を求めたものである。まず自衛隊に領域警備の任務を課すこと。そしてそれに必要な武力行使の権限を付与しておけば、いわゆるグレーゾーン問題の解決にもつながる。
今こそ日本は、あの戦役の収果を永遠に全うする謙虚さをもつべきではないか。