集団的自衛権行使に関わる憲法解釈の変更をめぐって、その是非が問われている。
この一事をもって、我が国は未だ「戦後」であることを思わざるを得ない。「戦後」というだけでなく、未だ「敗戦国」であるということを。
集団的自衛権に関する国会やマスコミでの議論も、まったくもって事の本質に肉薄していないところが残念だ。
そもそも個別的であれ集団的であれ、自衛権とは自然法ともいうべき固有の権利であるのだから、それを行使しようが自粛しようがその国の勝手である。奇妙なことは「それを行使することは日本国憲法が認めていない」と内閣法制局がこれまで曲解してきたことであり、そのことをまた政治が容認してきたことである。
現行の日本国憲法は占領下によって制定された。いわば米国が日本国を占領統治するための「占領政策基本法」だ。よって、昭和27年4月の主権回復とともに廃止されるべき代物であったが、その後の日本の政治家たちがそれを怠ってきた。
占領している側の米国にとって、被占領国である日本国が個別的であれ集団的であれ自衛権を行使することなど想定しているはずもなかった。よって、現行憲法が集団的自衛権の行使を認めていないはずもなかろう。
さらに残念なのは、内閣法制局や政治家やマスコミたちが、①現行憲法の禁ずる武力行使と、②自衛権行使における武力行使と、③集団安全保障に関わる武力行使とをすべてごちゃ混ぜにしていることだ。
まずは最低限として、「集団的自衛権」と「集団安全保障」の違いくらいは理解してほしい。