国会では、社会保障制度改革を話し合う「国民会議」なるものが設置されようとしている。国会議員を除いて専門家に議論してもらったほうが意見集約しやすい、というのがその設置理由らしい。
しかし、そもそも国会こそが国民会議ではないのか。国民会議の設置は国会そのものの自己否定になる。あろうことか、自分たちは専門家でない、と公言して憚らない国会議員もいる。
地方議会でもそうだが、既存の制度を使いきる能力がないくせに、すぐに新たな機関や制度をつくろうとする風潮が蔓延っている。『議会基本条例』や『自治基本条例』の類がその典型だ。詰まるところ、これらも結局はあまり機能せず、無駄な手間と予算だけが掛かる。むろん、それらも納税者の負担だ。だから、私はこれらを「行政ゴミ」と呼んでいる。既存のシステムを使い切ることができない理由は、多くの場合が「しがらみ」だ。
まずは、今あるシステムを使いこなすことが一番効率的なはずだ。地方議員も国会議員も、旧習を破りシガラミを捨てて今あるシステムを使いこなす努力をすべきである。「行政ゴミ」はリサイクルできないのだから。