国家財政の再建は地方自治の財政改革にかかっている。
なぜなら、国の支出の約半分は地方交付税と社会保障費であり、これらを執行するのはそれぞれの地方自治体なのである。
例えば、川崎市の生活保護費の支出は一般会計の約1割を占め、その受給者は川崎市の人口の約2%(30,593人)にのぼる。問題は生活保護受給者の46%が20~64歳の労働人口であることだ。障害・傷病者世帯が全体の約30%であるので、それらを差し引いてもこの比率は高いといわざるをえない。これらをチェックし真に必要な弱者にこそセーフティネットが機能するようにしなければならない。
あるいは地方行政では『自治基本条例』や『子供の権利条例』など、国家を解体する思想に満ちた仕組みづくりが盛んに行われ、そのための無駄な予算と人材が使われている。これらを廃止し行政運営の健全化を図ることこそ地方議会の役割のはずである。
しかし、現実の地方議会は驚くほどに停滞している。旧習と化した会派主義に偏り、行政の提案した議案には一部の会派を除きほぼ100%丸のみで賛成している。また、議員立法などほとんどなく、新たな改革を提案してもヤル気のない守旧派議員らによって握りつぶされる。こうした守旧派議員とそれに従順な「イエスマン議員」による会派集団、それが多くの地方議会の実態ではないか。
改革を唱える多くの若手・新人議員も、ブログや街頭ではやけに威勢がよいが、議会にくると極めて守旧派議員に従順である。昨今、こうした「ブログ・街頭議員」が跋扈している。
そのような中、川崎市議会では、法的機関である議員運営委員会において議会の改善項目案か山積している。
ところが、である。こうした改善事項を議論するため、法的根拠をもたない任意の協議会をつくり、そこに各会派の代表者が出席し改善項目を検討するという。『議会基本条例』制定のときもそうであったし、2月の『議員定数条例』改正のときもそうであったが、平場ではやりにくい議論はすべて任意の協議会を設置しそこで議論し、一定の結論(談合案)ができたら法的根拠のある機関にもどして全会一致で議決する、というパターンだ。任意の協議会で議論しても、そこでの議事録は所詮「任意の議事録」にすぎない。議会は公的議論の場であり、私的議論の場ではない。議員は地方自治法に基づく法的根拠のある機関において審議をし結論を出さなければならない。そこではじめて法的根拠のある議事録も確保される。そもそも職務中の公務員(議会局職員)をつかって、法的根拠のない任意の協議会を運営するのは、議員による公務員の私物化だ。政務調査費は何のためにあるのか。
地方議会はあくまでも地方自治法に基づいて運営されるべきである。そのことによって有権者の市政に対する知る権利や参加する権利が保障される。法的根拠をもたない機関での議論では有権者は法的裏付けをもってその議論に関わることができない。それにもし、平場では発言しづらい議員がいるとするのなら、そんな議員は議員を辞めるべきだ。
改革は今あるシステムをまずは最大限に活用して行うべきである。安易に新たなシステムをつくることはかえって禍根をのこすことになる。