議会改革には賛成、しかし理念条例には反対!
本日、川崎市議会で、各派共同提案により「川崎市議会基本条例」(案)が提案されました。これまで私は、この条例案には多くの問題点があることを会派内において再三にわたり提言し、それに変わる対案も提示して参りました。しかし残念ながら、その提言はことごとく退けられたまま議会に提案されるにいたりました。
市民の利益につながるとは思えない条例案には到底、同調することはできない、と判断し、この議案の採決の際、議場を退席しました。
市民の利益と、会派の利益が対立した場合、市民の利益を優先し決断するのが、政治の常道であると考えます。
私が、この条例の制定に賛成できない理由は下記のとおりです。
1.そもそも、この条例を制定するにあたり、なぜ議会を開き議論の内容を公開しなかったのか。議員定数の1/12で提案して特別委員会をつくり、公開の場で議論するべきではなかったのか。開かれた議会を創ることを目的とした条例案であるのに全く開かれていない。談合議会の所産である。
2.議会の活動原則、役割、権限について、川崎市議会が創設的に規定する権限はないはずである。憲法と地方自治法の規定に従って自由に運営することこそ、時代の変化に柔軟に対応して必要な措置をとっていく地方自治にふさわしい。運営上、不都合があるのであれば個別に改革をするべきである。包括条例にすることによって、かえって議会改革の柔軟性と機動性が損なわれる。例えば、議決事件を決める必要性があるなら、それを規定する条例を制定するべきである。また、会議のあり方についても、必要ならその条例を個別に制定すればよい。包括的な条例は危険である。
3.議員は、この条例がなければ「議員間で活発な討議」をしないのか。また、条例に規定しなければ、参考人や公聴会の制度を活用しないのか。現行制度だけでも十分に可能なはずである。あるいは、条例に規定しなければ、議会は広報のあり方を「不断に検証」しないのか。また、議員は有権者に対して議会活動を「積極的」に「公開」も「発信」もしないのか。なんのために、政務調査費を使って「議会だより」等を発行してきたのか。議会の機能強化についても、わざわざ条例に書かなければ、地方自治法の規定も活用する気がないのか。本条例には「努める」という文言が多い。必要なことを必要なときに的確に実行していくことが政治である。このような理念条例は、中学校の生徒手帳の「生活の心得」まがいの「議員の心得」を条例化することに等しい。
4.市民の議会活動への「参加」とは何を意味するのか。自治基本条例の文言から考えると、市民が政策過程の全てに対し、議員と対等に直接的に「参加」できることでなければならない。従って、市民にも議場での発言、裁判員制度同様の評決権、質問権等が認められなければならない。結果、議員は不要となる。また、自治基本条例の「市民」の定義からすると、川崎市に住民票をもたないもの、外国人、未成年者、団体も市民であることから、これが「参加」する議会とは、憲法、地方自治法に違反する議会となる。
5.理念を条例化するということは、すなわち全体主義に他ならない。全体主義は個人の自由を奪うものであり、とうてい開かれた議会にはつながらない。
6.この条例の必要性が理解できない。あってもなくてもよいものは、ないほうがよい。理念条例が制定されれば、特定市民の特定な活動に公金をつかうことの法的根拠を与えることになる。