私(三宅隆介)は、昨年11月に新潟中越地震の被災地である小千谷市に、ボランティア活動に赴きました。今回はボランティアではなく、その後の復興状況と震災からの教訓を学ぶべく、小千谷市のみならず長岡市において復興視察を実現しました。
長岡市の山古志地区は未だに入村が許されず、一部地区では住居がいまだ水没していた。
まず、現地到着後すぐに、長岡市復興推進室より新潟中越大震災の被災と復興状況についての報告を受けた。
その後、未だ入村を禁止され集団避難している山古志地区、そして皆川親子をのみこんだ妙見町の土砂崩れ現場、長岡駅旧操車場に設けられた避難住宅をそれぞれ視察した。
震災時の長岡市は全体として震度6弱であり、震源からは若干離れていた。しかし、4月1日に市町村合併で新たに長岡市に加わった山古志地区の被災状況はやはり悲惨であった。たとえば、地震によって川は堰き止められダムと化し、このために水没した民家もあり、旧山古志村の人々はいまだ困難な避難生活を強いられていた。
さて、地震発生後、火災が発生しなかったのは、阪神大震災以降に義務付けされていたマイコンメーターの効果もさることながら、翌日より全国から支援に駆けつけてくれた東京ガスをはじめ全国のガス事業者が一軒ずつガス漏れ検知をしてくれたおかげだという。
また、市内145箇所の地区防災センターへの長岡市職員の参集が義務付けられていたが、参集率は80%であったとのこと。これは、比較的職住が接近している長岡市であったればこその数字といっていい。数字はともかくとして問題なのは、全国いずれかの場所で大震災が発生した場合、当該地区の行政職員もまた被災者であるということだ。それだけに、自主防災組織をいかに充実させるかが大きなな課題であろう。長岡市復興推進室としては、それぞれの地域における日常からの近所づきあいがとくに必要であると指摘している。
そして更に最大の問題点をかれらは指摘する。それは、国の被災者生活再建支援法の不備についてである。たとえば、家屋が全壊した場合、300万円を上限とする国の支援制度がある。しかしその条件に年収500万円以下とあり、加えて300万円のなかには解体費も含まれているらしい。完全に倒壊しなければ補助がでない点と、その額が些少であるという点に、つよい憤りを覚える、というのだ。
これでは、ローンに追われている人が被災し、仮に家屋が倒壊したりすると、結果、新たなローンでさらに苦しめられることになってしまう、というのがその理由らしい。
気持ちはわかなくもないが、倒壊したすべての家屋を対象に国が十全に足る補助を行うことにも限界があるものと考える。
ともかくも、今回の視察により、多くの問題点と解決策を学んだ。ぜひとも、川崎市の防災政策に反映させたい。