国という漢字は、國という文字の略字です。
國は戈(ほこ)(武器)と口(い)(城壁)に外囲としての口を加えた文字によって成立しています。また、邦もクニと訓みます。「丰」の部分は土と主を合体させた文字で「土地の神」の意を示し、「丰」(土地の神)と「阝」(都)によって邦という文字が構成されています。
このことから、國が武装都市から発生した文字であるのに対し、邦は宗教的観念から発生した文字であることがよく理解できます。
因みに、圀という文字もあります。これは領域の「域」と国境を指す「口」から成立しており、国土の中で領域が四方八方に広がることから圀となりました。唐の則天武后がつくった文字として有名です。
もうひとつ、クニと訓む文字があります。それは
「土」という文字です。
英語でもlandが国土や国家を意味するのと同じように、土とうい文字も国土や国家を示しています。
我々日本人のみならず、人類は常に地面の上において、その歴史や文化文明を展開させてまいりました。たれもが地面の上で生活を営みつつ、それぞれの土地の環境に応じて独自の文化を形成してきたのです。私が拠って立っている地面もまた、先人が守り営み続けてきた土そのものです。
今年は終戦60年の大きな節目となります。先の大戦においても、この土を守るために多くの若き日本人が犠牲を払いました。かれらの多くは、この国土を守ることこそが家族を守ることであり、郷土を守ることであり、日本の文化を守ることであると強く信じていたにちがいありません。
昨今騒がれている靖國神社への参拝は、この「土」に対する感謝心の顕われであるような気がいたします。首相の靖國参拝について国論が二分しておりますが、隣国の戦略的な圧力に揺さぶられることなく、小泉総理には堂々と参拝をして頂きたいと念(おも)います。私も毎年、大学生時代から8月15日には必ず参拝してまいりました。むろん、私は参拝を他者に強制すべきではないと考えています。そして参拝反対者もまた、参拝する者を否定すべきではありません。ただ黙殺していればよいのです。
総理が参拝すれば、中国や韓国との強い摩擦が生じます。しかし、参拝しなければ後世に大きな禍根を残します。経営者は来年や再来年の利益を考えなければなりませんが、政治家は50年先、100年先の国利民福を考えて頂きたいと思います。
以上、この土(くに)を想いつつ。