大統領選挙を控え、共和・民主両陣営による論戦が喧しい米国。
対立候補たるトランプ氏を批判するなかで、バイデン副大統領がつい本音を漏らしてしまいました。
『バイデン副大統領「日本国憲法、米が書いた」
http://mainichi.jp/articles/20160816/k00/00e/030/200000c
バイデン米副大統領は15日、東部ペンシルベニア州スクラントンで民主党大統領候補のヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説をし、「私たちが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と語った。共和党大統領候補の実業家、ドナルド・トランプ氏(70)を批判する中での発言だが、米政府高官が、日本国憲法を「(米国が)起草した」と明言するのは極めて異例だ。(後略)』
米国が書いた・・・
そうです。決してバイデン副大統領は嘘を言っていません。現行の日本国憲法が立憲主義に反している所以はそこにあります。
我が国に主権の存しない昭和21年2月、のちに「日本のやった戦争は侵略戦争なんかじゃなかった」と公言することになるマッカーサーは、GHQ民政局に「1週間で占領憲法の草案を作れ」と命令しました。
自分の身が危ういと思うと、へいきで部下を置き去りにして逃げて行くような卑怯な男と知っていても、今は連合国の最高司令官。その最高司令官から発せられた命令に民政局職員は必死になって応え、2月11日に草案は完成しました。
2月11日は、我が国の建国記念日です。その日に日本国民にとって屈辱的な占領憲法草案を仕上げさせてくるマッカーサーの執念はすごい。
日本軍のせいで、コレヒドールそしてオーストラリアまで落ち延びざるを得なかった、という失態がよほどに悔しかったのでしょう。
草案を完成させた翌日の2月12日、マッカーサーはそれを日本側に伝えます。
2月12日といえば、奴隷を解放したリンカーンの誕生日です。どうやら「悪しき軍国日本から日本国民を解放する」と言いたかったようです。
次いでマッカーサーは時の総理・幣原喜重郎に対し、2月22日に草案を閣議決定するよう命令します。ここが大事です。「命令した」のです。
なんで2月22日?
その日は、初代・アメリカ大統領のワシントンの誕生日だったからです。
マッカーサーは当初、この2月22日を憲法公布日にしようとしていた、とも言われています。
結局、憲法公布は11月3日になりました。この日が明治節(明治天皇の誕生日)だからです。大帝といわれた陛下のお誕生日に日本国にとって屈辱的な憲法を公布し、加えてその日を「文化の日」と改めさせることによって戦前と戦後の日本人の分断を図ったのです。
おかげで、現在の日本国民のほとんどが「文化の日」は知っていても「明治節」を知らない。
以前、某衆議院議員の後援会催しに出席したら、後援会長が挨拶で「今日は文化の日です。皆さん文化に親しみましょう」と嬉しそうに言ってました。
因みに、公布された現行憲法は翌年5月3日に施行されました。この日は、戦後日本の歪んだ歴史認識を認定することになる、いわゆる「東京裁判」が開廷された日です。
これが、占領政策です。
ハーグ陸戦条約という国際法の第43条には、
国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。
要するに、国際法は占領軍に被占領国の憲法にさわる権利を認めていません。また、先日も述べましたとおり、その国の歴史認識に手をつける権利も認めていません。
なぜなら憲法も歴史認識も、その国の主権の発動そのものだからです。
国際法を蹂躙して制定された憲法、国際法を蹂躙して歪められた歴史認識。この立憲主義に反した憲法とイカサマ歴史認識に、私ども日本国民はおよそ70年間にわたって縛られているのです。
それから、バイデン副大統領は、
「(日本に)核武装させないために書いた」と言っていますが・・・
あの内閣法制局ですら、防衛を目的として必要最小限度の範囲内であれば核を保有することを現行憲法は禁止していない、と言っています。
非核三原則は憲法でも法律でもありません。ただの政策です。国の政策は、国民の意思でいつでも変更可能です。
バイデンさん、その点はお忘れなく。