産業革命によって、「土地」と「労働」という二つの要素によって生産性が決定していたそれまでの時代が終わりました。以降、「資本」と「労働」と「技術」によって一人あたりの生産性を毎年向上させることのできる時代に入ります。
ここでいう「資本」とはおカネのことではありません。生産資産や有形非生産資産などの国富を指します。漁場や地下資源や土地のなどの有形非生産資産には自然的な制約がありますが、生産資産は投資を行うことによって形成されていきます。
我が国は明治以降、悲惨なほどの外貨不足ながらも懸命に投資を拡大し資本を形成してきました。それはそれは凄まじいほどの勢いで。
しかしながら昨今、グローバリズムや新自由主義(ネオリベ)や新古典派経済学の進展により、四半期ごとの利益が優先される社会となりはて、研究開発や設備投資をはじめ、維持メンテナンス費用までもが削られている世の中になっています。
例えば、ネオリベの理論によって公的サービス機関が次々と民営化されていき、あるいは規制緩和されていき、それまでの維持メンテナンス費用を確保することができず、結果として事故が惹き起こされている事例も多々見受けられます。
現在を生きる私たちが、これまで便利で快適な生活をおくり、豊かなインフラ網のうえで様々な生産活動を展開できていたのも、我が国の先人たちによる投資(資本形成)の賜物です。
そうしたインフラや生産資産の劣化が進んでいることはこれまでに述べてきたとおりです。
その資本形成のひとつに技術開発投資があります。言うまでもなく、技術開発投資を怠れば、必ず将来に禍根を残します。そうです。資本と労働と技術には継続的な投資が必要であり、そのことがまた新たな資本を形成するからです。
例えば、総務省の『科学技術研究調査報告』で研究主体の費目別内部使用研究費をみると、研究機関の人件費とその割合をかつての高度成長期と比較すると明らかに投資費用が減退していることが解ります。
下のグラフは、高度成長期といわれた1960年~1970年までの研究機関の内部使用研究費における人件費とその割合です。人件費割合は1962年以降は40%を大きく上回っていました。
右肩上がりの人件費については、人口増加の影響が大きいと思われるかもしれませんが、けっしてそうではありません。この時代の総人口の伸び率は年間でわずか1.1%、生産年齢人口の伸び率でも1.7%程度です。
ところが、2001年から2010年までのグラフをみると、
人件費割合は30%強は維持されているものの、かつてほどの水準には及んでいません。
このように研究機関の人件費ひとつをみても、1980年代以降に台頭したグローバリズム、新自由主義(ネオリベ)、新古典派経済学がもたらした害悪を確認することができます。
技術開発投資はその成果が現れるまでに数十年、ときに数百年かかることもあります。また必ずしも成果がでるわけでもありません。むしろ成果の出ないものが圧倒的です。
しかし、だからこそ常に投資を怠ってはならない分野なのです。
このままでは、グローバリズムが技術革新そのものに止めを刺すことになるかもしれません。