昨今、「教育問題=貧困問題」にすり替えようとしている勢力がいます。
しかし、貧困問題はグローバリズム(新古典派経済といってもいいし、新自由主義経済といってもいい)化が進んだ結果としての社会問題であり、それを安易に進めてきた政治の責任です。
あるいはピケティの言葉をお借りすれば…
「グローバリズムの進展によって、所得の成長率より資本収益のそれが上回り持続不可能な格差が生じている」結果です。
仮に「教育問題=貧困問題」であるとするならば、現在の教育問題はおカネで解決できる話ということになってしまいます。
果たして、現今の教育問題はおカネの問題なのでしょうか。
例えば、昨日も触れましたが、現在、日本の学校教育では、122,897人の不登校児童生徒がいます。(平成26年度時点)
この数字を大とみるか小とみるかですが、少なくとも文科省をはじめ各教育委員会は深刻には受けとめていないようです。
上のグラフは直近10年間の推移ですが、それよりも以前から不登校児童生徒数が10万人を切った年はありません。あまりにも慢性的状態が続いているがために、教育当局をはじめ多くの教育関係者もなかば諦めているかのようです。
不登校に至る要因は、それこそ家庭の経済事情から学校でのいじめなど様々ですが、その大部分が子供個人に関わる要因です。
文科省の調査によると、子供個人に関わる要因の半分以上は「無気力」や「情緒的混乱」となっています。そこまで解っていながら施す術がないのが現今の教育行政の限界です。
もちろん、不登校問題だけが教育問題である、などという気は更々ありません。ただ、不登校に至る要因のなかに現行教育の本質的問題が深く関わっています。
要するに「無気力」や「情緒的混乱」などの、いわゆる「情緒障害」は幼児期の教育環境に大きな関わりがあります。すなわち幼児期において、いかに「進歩の能力」を身につけることができたか、ということです。
ところが、「進歩」の意味をまったく掴めていないのが現今の教育行政なのです。
教育荒廃が問題化し、のちに日本の叡智(!?)が集められ教育改革が進められて、はや30年以上が経ちます。にもかかわらず、未だに教育荒廃の原因すら掴めていません。日本に叡智はない、ということなのでしょうか。