前々回の項で、政府が進めようとしている「動的防衛力」構想について批判した。それを読んだ方から、「動的防衛力」と「基盤的防衛力」とは、いったい何が違うのか、という質問を頂いたので、以下、簡単に説明したい。
まず、これを論ずる前に、主権国家における防衛費の国際的な適正水準について理解しておかねばならない。
現代の国際安全保障は、実質的に米国が主導する集団安全保障によって維持されている。
本来は国連が主導する、と言いたいところだが、国連の意思と米国の意志とが必ずしも一致していないことの多い昨今、米国が実質的に主導する集団安全保障といわざるをえない。もともと国連は米国が主導する国際秩序をオーソライズするために結成されたものであるから、実質的に米国が主導してもさしつかえはない。
わが日本国は何の留保事項もつけることなく国連に加盟したのだから、国連憲章第1条および第2条に規定されている集団安全保障の責務を主権国家として果たさなければならない。この国連憲章に謳われた責務を果たすためには、加盟したそれぞれの主権国家が国際水準並みの防衛費を確保しなければならないのである。
その国際水準となる防衛費は、およそGDP比3%である。
つまり、その国力に応じた防衛費を確保しなければならない、ということなのだが、日本の場合、その防衛費はGDP比1%未満であるため、国連憲章に謳われている責務を果たしていないことになる。そのことは、米国からも防衛費の増額を求めれていることでも明らかだ。
逆にGDP比3%を超える防衛費を計上する国家は、防衛費過剰国家とみなされる。現在のシナは防衛費にいくら費やしているのかを明確にしていないがために、国際社会から顰蹙と不審をかっているのはご承知のとおりである。
日本は敗戦以来の慢性的戦後病のなかにあり、いまだGDP比1%未満の防衛費であるがために国力に応じた防衛力を有していない。自衛隊としては、限られた人員と装備で国防目的を達成するため、米軍に依存しつつ、オールランドな体制を確保して即応対処せざるをえない。その極めて少ない防衛予算の中でオールランドに対応できる状態を保つための防衛力整備がいわゆる「基盤的防衛力」構想である。
仮に、日米同盟が解消され、つまり米軍の支援が一切うけられなくなったとき、自衛隊は単独ですべての軍事作戦を完結しなければならない。それを可能にするためには、そこから拡張できる基盤が必要となるので「基盤的」という。簡単に言えば、限定的な予算のなかで陸海空のバランスのよい防衛力を整備し、そこからいつでも拡張できる基盤ということ。さらに言えば、主権国家にふさわしい軍隊になりうるための基盤といってもいい。
つまり、日本国の防衛費がGDP比3%という他の主権国家なみの水準を確保できれば「基盤的防衛力」という言葉は必要なくなる。
現在、政府が進めようとしている「動的防衛力」構想は、この「基盤的防衛力」を否定し、つまり陸海空のバランスを無視し、自衛隊を将来にわたって米軍の下請け軍隊にさせるものである。・・・と私は思っている。
国防を外国に依存する国家は、主権国家とは言えない。よって、現在の日本において「基盤的防衛力」構想を捨てるということは国家主権を放棄するに等しい。