かねてから主張してきたことであるが、我が国では、国会議員から地方議員にいたるまで、あるいは国政から地方行政にいたるまで、ことごとく国防意識が希薄である。
例えば国家機密保護法や非情事態法など、たいていの主権国家であれば、いずれの国にも整備されているはずの国防法体系が日本にはない。
あるいは、今回の東日本大震災においても、各国からたくさんの救援部隊が日本を訪れている。
むろん、このこと事態は誠にありがたいことであり、日本として救援国に対して感謝しなければならない。
しかし一方で、こうした救援部隊の中には、情報収集や諜報活動を目的とした人たちも紛れ込んでいる、ということを認識しておかなければならない。事実、救援任務の途中で、何人かの行方がわからなくなった国の部隊があるという。
ふつう、国防観念のある国家であれば、こうした外国からの救援部隊に対して、自国の通訳や現地案内人などを付けるなどして、彼らを監視するといった措置を執るだろう。今の国政では、与野党を含めてそうした発想はまったく無いようである。
そもそも国家とは、防衛から生まれた。
古来より、集落で生産した富や、共同体を構成する人々の生命を外敵から守らなければならかった。自然、その防衛を実現するには、お金が必要となる。そこから徴税という観念が生まれた。正しく徴税するには、戸籍管理が必要となる。戸籍管理を正確にするには共同体の治安を維持しなければならない。
これらのことから、防衛(外交)、徴税、治安は根源的な国家権力となった。であるからこそ、現在でも内閣総理大臣の秘書官には、外務省、財務省、警察庁から必ず選ばれることになっている。
国防観念の希薄な国家などありえない。また、あってはならない。しかし、現実の日本ではこの悲惨な状態が続いている。