永禄11年(1568)のことである。
前年に美濃を平定した信長は、次なる事業として畿内制圧をめざした。畿内制圧が意味するものは、上洛事業の完遂にある。成長する企業は、つねに新規事業に挑戦してゆく。その上洛という新規事業を実現するため、信長は着々と準備をすすめた。
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第13回 電撃的上洛と軍規厳格" »
私ごとだか、今年で34回目の誕生日を迎えた。
史上の改革者の多くがそうであったように、改革断行の末に暗殺され命脈を絶つことが、大仰ながら私のささやかな夢である。
幕末の偉人である坂本龍馬は33歳で暗殺された。終然、私は龍馬よりも長く生きることとなった。
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第12回 目的ごとに居城移転した信長戦略" »
いわでものことだが、当時、「五徳」は典型的な台所用具のひとつであった。炭火などの上に置いて鉄瓶などを載せる器具のことである。
信長はそんな台所器具の名前を自分の娘にさえつけている。
そのことは、かれが名門家やその種の家系の血筋に対して、これといった魅力や関心をほとんど示さなかったことのひとつの証かと思われる。あるいは台所用具のように飾らない親しみやすい存在として、その女性をふかく寵愛していた証とも解釈できる。
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第11回 信長の女性観 その2" »
前述のとおり、信長はお金で兵士を雇った。そのことが、当時としては実に画期的であったことも繰り返し述べた。
ここで誤解なきよう断っておかねばならない。
私は、信長が金にものをいわせた、ということを論じているのではない。かれは、お金の掛けどころ(あるいは賭けどころといってもいい)を変えた。そのことを論じようとしている。
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「信長軍は専門家集団」" »
信長は、お金で志願兵を雇い入れた。当時としては、ひどく画期的なことだった。
しかし、かれら傭兵軍団は、甚だ弱かった。それは何も、傭兵たちの訓練不足によるものではない。
では、なぜ弱かったのか、ということになる。
と、いうより、従来の百姓兵の方が、かれら傭兵団に比べ、より命がけで戦場に赴いていた、と言ったほうが正確な表現であろう。
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「弱小兵の強み」" »
信長は、父の死後、いよいよ家督を継ぐことになる。だが、それまで父・信秀が築き上げた軍事体制を否定した。
父の信秀は、他の大名がそうであったように、領内の百姓兵を農閑期に召集して、軍事行動を展開した。
百姓兵は、各村落ごとに編成される。
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「浮浪者を採用した新規事業」" »
さて、いよいよ本題に入る。
まず、信長の組織改革からはじめたい。
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「信長軍はサラリー兵士軍団」 " »
信長のビジョン遂行の特色の第二は、ビジョンを貫き通す一貫性である。いつの時代でも、どの分野でも、ビジョンを貫き通すことは難しい。
続きを読む "下天の幻 第5回
「気の長かった織田信長」" »
偉大な改革者としての信長のビジョン遂行には、2つの特色があった。
まず第一に独創性だ。
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「同じ戦法を二度と使わない信長」" »