過日、6月1日に行われた記者会見で安倍総理は、日本経済の現状が未だデフレであることを認識したうえで、その需要不足を埋めるための財政出動の必要性について言及されました。その点において大きな前進であったと思います。
しかしながら、同時に次のようにも発言されています。
「最も重要なことは、構造改革を断行し、将来の成長を生み出す民間投資を喚起することであります」
いまのご時世、この「構造改革の断行!」の一言を入れないと話がまとまらないのでしょう、きっと。
しかし「構造改革」という、いかにもご尤もらしい言葉の響きから、多くの人々が何の違和感をもつこともなくこの言葉を純粋に受け入れていますが・・・
そもそも、この「構造改革」という言葉が、メイド・イン・アメリカであることはあまり知られていません。
困ったもので、自虐思想に染まる戦後日本の特色として、この手のメイド・イン・アメリカの言葉を何の精査もせず、多くの、というより、ほぼ全ての政治家や官僚らが乱用し多用します。
私のブログを毎日お読みいただいている皆様におかれましては、既にお察しの通りと存じますので、構造改革とは何か?・・・については、本日は端折ります。
米国政府が日本国政府に対して「構造改革」を求めだしたのは、いわゆる冷戦構造が崩壊した時期です。
冷戦時代の米国が日本に対し、いわゆる日本式資本主義を許していたのは、それを破壊すると日本が東側陣営に属してしまうリスクがあったからです。冷戦が終わり、日本が東側陣営に属す可能性がなくなったと同時に、米国は日本に対して日本式資本主義を破壊するための構造改革を求めだすようになりました。
日本政府に公営事業の民営化、規制緩和、財政収支の均衡を進めさせ、できうる限り政府を小さくさせたうえで、自由貿易の名のもとにヒト・モノ・カネという経営の3要素の国境を超えた移動を最大化させる。それが米国の対日政策の主眼となります。
それが、いわゆるネオリベラリズム(新自由主義)に基づくグローバリズム化の正体です。
欧州ではEUなるユーロ・グローバリズムが進み、アジアでは日本国のみならず、シナも韓国もグローバリズム経済に席巻されていきました。
その結果、どうなったか?
以下のとおり、AFPの記事を拝借します。
『世界人口の1%、全体の富のほぼ半分を保有
http://www.afpbb.com/articles/-/3089774
億万長者やそれ以上の富裕層を名乗ることができるのは、世界人口のわずか1%だが、その人々が世界の富のほぼ半分を占め、しかもその割合が増加していることが、7日に発表された新しい報告で明らかになった。世界の私有財産に関する米ボストンコンサルティンググループ(BCG)の年次報告書によると、世界の約1850万世帯が少なくとも100万ドル(約1億700万円)相当の資産を有し、合計では78兆8000億ドル(約8400兆円)に上る。これは世界の年間経済産出量とほぼ同規模だという。この1%のエリート層の富の取り分は、不動産を除く現金、金融勘定、株式の保有に基づく世界の総資産の47%にあたる。しかもその割合は2013年の45%から、15年には47%へと着実に増えており、格差が世界中で広がりつつあるとする経済学者らの不安を裏付けている。一方、残る53%の資産を、世界人口の99%で分けていることになる。億万長者が最も多い国は米国で、少なくとも800万人が存在し、他国を大きく引き離している。続いて中国が200万人、日本がその半分となっている。さらに日本を除くアジア太平洋地域は、今後5年間の世界的な富の成長の40%以上を占めると予測され、そのほとんどは中国とインドにおいてだと報告は述べている。(後略)』
いうまでもなく「構造改革」なるものが常に間違っているわけではありません。かつての旧ソ連経済のように、供給能力が足りず需要を満たすことのできない極端なインフレギャップ状態であるのであれば、極めて有効な政策手段です。
しかしながら、ご承知のとおり1997年以降の我が国はデフレで苦しんでいます。何よりもこの20年間、構造改革によって日本式資本主義が悉く破壊されてきたことの痛手はことさらに大きい。
デフレ脱却のための財政出動を認めつつ、同時に構造改革を進めるという総理の発言がいかに矛盾にみちたものであるのかがご理解頂けるものと存じます。
政治のみならず、いかなる分野においても、耳障りのいい言葉にはくれぐれも注意しなければならないのだと思います。